法規制と自主判断について思うこと
最近「コンプガチャ」なるものを法律で規制したほうがいいのでないかという話が出ている。
このコンプガチャというのは、オンライン上のゲームの中でお金を払うとランダムでアイテムが出るというものである。
このゲームの中のお金そのものは仮想通貨だが、この仮想通貨をゲームの中で使うためには現実のお金をクレジットカードで振り込むなどして送金しなければならない。
つまり、これをやるためには現実のお金が必要になるということである。
ランダムでアイテム(これはそのゲーム内で使うことが出来るもので、現実では使えない)が手に入るということは、アイテムが重複したら損だと感じるし、どうせならアイテムを全部集めてしまおうと考える人が出てくることは自然なことだと思う。
ここに一つ仕掛けがある。このアイテムの中には「レアアイテム」というのがあって、これはまれにしか出てこない。
そうすると普通のアイテムは重複するがレアアイテムが簡単に出てこないので、簡単に全部集まらない。
集めるためにドンドンお金を使う…。という流れになる。
大人だったらお金使いすぎて困ったら自己責任ということになるのだろう。
しかし、子どもだったらどうか。子どもにはまだこのような判断を求め、その結果をすべて「自己責任」とするには無理があるのではないか。
子どもがクレジットカードを使ったりして(親のを勝手に使ったりするのだろう)月10万円使ってしまったケースもあるそうである。
そこで法規制がかかる前に、このサービス提供側が自主的にそうならないような工夫をしようという動きが出てきた。
ところがとあるテレビのコメンテーターがこのような発言をしている。要約すると以下のとおりである。
1、私はゲームのことはよく分からない
2、このようなことは家族や学校のしつけによってこのようなお金の使い方を回避するべきである
3、安易に法規制をすべきでない
とのことである。
2、でしつけにより子どもに自主判断の能力をつけさせて高額課金を避けよという。
しかし、どの程度のしつけが出来るかはその子の置かれた環境によりまちまちである。
1、についてはこの状況が分からないのなら「そもそも黙ってろ!」といいたくなる。
3、については法規制は確かに最小限にすべきという考え方はある。
むやみに厳しい法規制は人の自由を不当に奪うことにもなる。だけれども規制しなければ危険なことだってある。
その恒例が、2週間ほど前に起きた一連のバス事件である。
このような「取引」(れっきとした取引である)から子どもを守るために、規制はやむをえないだろう。
本来は、商売を提供する側のモラル(儲かれば法に触れなければ何をしてもいいわけではない)こそ重要なのだが、
それを期待するのは「子どものしつけ」に期待するよりも難しいと思う。
車庫証明の根拠法である「自動車の保管場所の確保等に関する法律」が公布されたのは昭和三十七年六月一日である。
このような法律が必要とされたのは、道路を自分の車の車庫代わりにすることが蔓延したからであり、それを防ぐために自動車を持つものは、自分の車を普段止めておく所を決めておいて警察に確認してもらいなさい・届出なさいということになった。
昭和37年といえば戦後17年程度で自動車はまだそれほど一般に普及していなかったはずである。
それでもこんな法律を作らざるを得ないというのは…。国にそうさせたのは「モラルの無い者」たちのせいである。
もっとも、行政書士としては、当時は「車庫証明(申請)で家が建つ(くらい稼げる)」といわれたらしい。
今ではとても考えられない話である。

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このコンプガチャというのは、オンライン上のゲームの中でお金を払うとランダムでアイテムが出るというものである。
このゲームの中のお金そのものは仮想通貨だが、この仮想通貨をゲームの中で使うためには現実のお金をクレジットカードで振り込むなどして送金しなければならない。
つまり、これをやるためには現実のお金が必要になるということである。
ランダムでアイテム(これはそのゲーム内で使うことが出来るもので、現実では使えない)が手に入るということは、アイテムが重複したら損だと感じるし、どうせならアイテムを全部集めてしまおうと考える人が出てくることは自然なことだと思う。
ここに一つ仕掛けがある。このアイテムの中には「レアアイテム」というのがあって、これはまれにしか出てこない。
そうすると普通のアイテムは重複するがレアアイテムが簡単に出てこないので、簡単に全部集まらない。
集めるためにドンドンお金を使う…。という流れになる。
大人だったらお金使いすぎて困ったら自己責任ということになるのだろう。
しかし、子どもだったらどうか。子どもにはまだこのような判断を求め、その結果をすべて「自己責任」とするには無理があるのではないか。
子どもがクレジットカードを使ったりして(親のを勝手に使ったりするのだろう)月10万円使ってしまったケースもあるそうである。
そこで法規制がかかる前に、このサービス提供側が自主的にそうならないような工夫をしようという動きが出てきた。
ところがとあるテレビのコメンテーターがこのような発言をしている。要約すると以下のとおりである。
1、私はゲームのことはよく分からない
2、このようなことは家族や学校のしつけによってこのようなお金の使い方を回避するべきである
3、安易に法規制をすべきでない
とのことである。
2、でしつけにより子どもに自主判断の能力をつけさせて高額課金を避けよという。
しかし、どの程度のしつけが出来るかはその子の置かれた環境によりまちまちである。
1、についてはこの状況が分からないのなら「そもそも黙ってろ!」といいたくなる。
3、については法規制は確かに最小限にすべきという考え方はある。
むやみに厳しい法規制は人の自由を不当に奪うことにもなる。だけれども規制しなければ危険なことだってある。
その恒例が、2週間ほど前に起きた一連のバス事件である。
このような「取引」(れっきとした取引である)から子どもを守るために、規制はやむをえないだろう。
本来は、商売を提供する側のモラル(儲かれば法に触れなければ何をしてもいいわけではない)こそ重要なのだが、
それを期待するのは「子どものしつけ」に期待するよりも難しいと思う。
車庫証明の根拠法である「自動車の保管場所の確保等に関する法律」が公布されたのは昭和三十七年六月一日である。
このような法律が必要とされたのは、道路を自分の車の車庫代わりにすることが蔓延したからであり、それを防ぐために自動車を持つものは、自分の車を普段止めておく所を決めておいて警察に確認してもらいなさい・届出なさいということになった。
昭和37年といえば戦後17年程度で自動車はまだそれほど一般に普及していなかったはずである。
それでもこんな法律を作らざるを得ないというのは…。国にそうさせたのは「モラルの無い者」たちのせいである。
もっとも、行政書士としては、当時は「車庫証明(申請)で家が建つ(くらい稼げる)」といわれたらしい。
今ではとても考えられない話である。
大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html
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