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無事故・無違反証明書を取って…。

自動車安全運転センターというところに「無事故・無違反証明書」(無事故・無違反の時期がどれくらいあるか証明する)か「運転記録証明書」(いま、違反点数がどれくらいたまっているのか、どのような違反をしたのかを証明する)を申請すると、無事故・無違反の期間に応じて色の違うSDカードというものを一緒に送ってくれる。

ちなみに、この申請書は各警察署、交通安全協会、運転免許センターなどにある。一般の人は特別な用事が無い限り「正直言ってあまり行きたくないな…」というところかもしれない。
確かに、ある種の独特な雰囲気を感じることはあるにはあるが、冷たい、怖い…のような感じはしない。
…というか、行政書士として車庫証明を取る際などにはしょっちゅうお世話になっている方々である。

記録によると最後に違反したのが平成16年11月26日である。なので、27日から今日まで無事故無違反が続いているということになる。
実はこのときの違反が、「仕事中の駐車違反」であった。しかも、青切符の記録によると、違反を確認してからわずか11分でレッカーされていた。
仕事中だったので、そこでの仕事を終えてさて、積み込んで次いくか…って感じだったのに
「車 が 無 い」
という状態だった。

この場所が駐車違反であることは知っていた。でも、この辺を回るときはここに停めて仕事しろと「上」から言われていた。とにかく「上司」にこのことを報告した。その際、事もあろうに上司が逆切れして「お前なんか知るか!(怒)いいからさっさと帰ってこいよ!」という状態だった。

この時期はまだ、民間の駐車監視員導入などがまだなされていなく、それほど駐車違反にも厳しくなかったときであった。
それに、「ある理由」から、私たちが駐車違反取られることはまずありえないだろうと、トップから当時の私のような末端まで信じていた。

この取締りを行った警察官の行為は当然適法で、どの程度の違反を許すか・許さないかの自由裁量の問題である。
だから、私はこの取締りを行った警察官・警察に対して、いささかの怒り・逆恨みのようなネガティブな感情を感じたことは無い。

だけど、このとき激しい怒りを感じた相手はいる。言うまでも無く、こんなふざけた態度を取った上司である。
組織のそれなりにお偉いさん2人とその上司と私で、その警察署にいき、車を返してもらった。
そして、その上司は私にすべての責任を押し付けようとしたことがばれて上からなにか言われたらしく、おとなしくしていた。…だったら、最初からそんな態度とるなといいたい。「大塚という人間も、その免許も消耗品だ」くらい言い切って見せろといいたい。

違反の事実は事実なので、私は違反切符に署名し…押印するのだが、私はあのときシャチハタ印しかもっていなかった。
今でもよく覚えている。右手の人差し指の拇印を違反切符に押した。インクは黒で、くっきりと指紋がつくのに、指のインクをふき取れば簡単にきれいになるという不思議なインクだった。

この出来事を機に、「アレ」な上司から理不尽なことをさせられて、その結果責任のみを押し付けられる…そんな「負け犬な人生」に縁を切りたいという気持ちを強く思うようになった。

それまでは行政書士の勉強も、「一応は本を買ってみたけど…」という状態だったのだが、この日を転機に本格的にやるようになった。
それでも、合格まで結構かかったのは、私が余り頭がよくないからだろう。もしよかったのなら、そもそもこんな(中略)な上司がいるような組織に使われ続けることに甘んじることはしないですんでいたはずだった。

私がこれから免許証の更新があれば、念願のゴールド免許を手にすることができることになるが、前回の更新の関係でその日はまだまだ遠い。ほかの免種(大型四輪とか牽引など)をとればゴールドになるのだが…。

私のこれからの人生において、「車の運転」に関してはすべて本当の意味での自己責任である。
この無事故無違反記録をどこまで伸ばせるかは、すべて私の意志にかかっている。ほかの第三者ではない。
自分のスケジュールミスで、無茶な運転してスピード違反で捕まったり、事前に地理をよく調べずに道に迷って挙句の果てに事故を起こしても、100%自分の責任である。

かつては、無茶な運行スケジュールで走らされたりしていた。その結果事故を起こしてもすべて自分のせいにされていたであろう。しかし、これは到底容認できない部分がある。

こんなことを今考えているので、今回のSDカードには特別な意味があると私は思う。

大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html



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退職

昨日の午前中に、去年まで行っていた職場に最後の出勤をした。
これは被服などを返還し、所定の手続きをするためである。

荷物が非常に多いので、車を使うのが一番よかったのだが、まだ自分の車が入ってくるのには時間がかかる。なので、バイクで駅まで・・と考えたが、バイクに積むには大きすぎた。

なので、歩いて駅まで行くことにした。バイク以外で駅に行ったのは数ヶ月ぶりであった。(バイクには真冬でも走れる装備がなされている)

JRに乗り、指定の1時間前の10時ちょっとすぎには職場に到着。早く来たのは、ロッカーの中にも着たこともない被服が多数あるからであった。

このロッカーが空になるのはおよそ6年ぶりになる。私の周りのロッカーはしょっちゅう空になったり物が入ったりしていたようであるが・・。

被服を準備していた袋に入れて、ロッカーを軽く掃除し、最後に6年近くくっついていたロッカーの鍵のキーホルダーを外した。

そのあと職場に向かったが、まだ30分残っていた。もう上司が来るまでやることがないので荷物を置いて周りを見てみることにした。表面上はあまり変わっていないようだった。

何人かいた人の話によると、かつてここにいて1年半ほど前に辞めた女性が戻ってきたと言う。
なんでも、人員不足ということで「お誘いをかけた」ということらしい。

私は以前贈られたネクタイを身につけ、スーツで着ていた。これを贈ってくれた人を知っている人もだいぶ少なくなった。なので、その人が分かる人に「このネクタイは○○さんから贈られたものです」と話しておいた。
また、昨日行政書士会の事務所検査があったことを話した。開業はやはり4月に入ってからでそこで初めて「行政書士」を名乗ることが許されます。と説明した。

11時に上司が来て、所定の手続きをしていった。初めに退職の辞令を。そして、退職後も職務上知りえた秘密を漏らさないという誓約書に署名押印するように求められた。

その後に総務課に行き、被服と金属部分が錆びまくった(汗で)名札を返還した。
この名札は電子ロックの鍵もかねている。なので、今後は上司の後にすぐにくっついていかないと戻れなくなってしまう。

最後に上司とそこに居合わせた数人と話をすることにした。
前の上司ははっきり言って実にひどかったが、今の上司になってだいぶ助かったこと、
前の上司の無茶な要求のおかげで「NS50F冬仕様改造」をすることになったということ。
その話と、名札が壊れても自分で直して使い続けたという話を聞いて、上司は「君って器用なんだな」とほめてくれた。でも、今まではそういうささやかな自己主張すらできないような雰囲気だったので、そういうことは何も言わなかったのであった。それをさせてくれたのなら、ぼろぼろの台車も、車の軽微な故障も(ライト切れや、内装のねじの緩みや、軽いかすり傷など)道具さえ貸してもらえれば直してもよかった。
実はフォークリフト操作資格も持っていたが、ずっと黙秘していた。あの状況だと「貴重な有資格者」であるはずなのにもかかわらず冷遇されることが明らかだったからである。

あと、祖父が先月死去したことを伝えた。そして行政書士の合格証書を見せることができたが、行政書士のバッジ(徽章)を見せることがついに叶わず残念であったということ。それも話した。
これにからんで、戸籍謄本や住民票などを委任状をもらって役所に交付を受けに行く機会が一気に増えて、結果的に「この世界の」第一歩になったということも話した。

上司らからは、行政書士ができること、できないこと、戸籍の種類や戸籍謄本(抄本)と住民票の違いなどの質問を受けた。
ほかの人からは、確定申告したいんだけど(この人はこの仕事のほかに不動産賃貸収入もあるようである)これは頼んでもいいのか?と聞かれた。これは行政書士の職務外なので税理士の先生に頼んでほしいといった。

相続に関する質問もされた。私は、「たくさん土地を持っている人は司法書士、相続税がかかるケースは税理士、とにかく親族同士が仲が悪くどうやってもうまくいかないのが明らかな場合は弁護士を。でも、いわゆる普通程度の家の相続だったら、(推定)相続人全員の同意を得た上で行政書士が遺産分割協議書を作成することができます。そして、この世の中「普通程度の家」が最も多いのです。」と答えた。実際、相続業務に特化した行政書士は多い。

最後に、法律上の問題と思われることで、「私に相談すればなんとかなるかも」と言うときは電話をください。番号は変わらないので。ただし、報酬はきっちりいただきますよ。とちゃっかり宣伝しておいた。

そして、電車の時間が迫ってきたのでこの場を去ることにした。このフロアに入ることはもう二度とないだろうが、職場の人とは会うかもしれない。そのときはもっとよい関係で会いたいものだと思う。


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冬装備原付バイク(その2)

まず、この上司の理不尽な要求があったのが2006年の11月の初め。
私は決断した。
もうこの時点ではNS50Fの前輪・後輪ホイールの部品はメーカー在庫がない可能性が高い。
あったとしてもかなり高価になる。
そこで、私はヤフオク(Yahoo!オークション)にて前後輪を入手した。けっしてきれいではなかったが、問題はなかった。
バイク用の冬用タイヤというのは存在する。でも、一般的には郵便カブとか、新聞配達用バイクとか、いわゆるビジネスバイクで使うことが前提となっており、私のNS50Fのようなロードスポーツバイクで使う者は、いわゆる「遊び」で使う者もいないだろうという。(そういう人はオフロードバイクを使ったほうが楽しめる)

タイヤが無事届き(もう少し注文が遅かったら買えなかった。そもそも私のバイクの径にあうこの種のタイヤは稀少である)
タイヤのとホイールの径さえ合えば組み込めるというので、やってみることにした。
結局、タイヤにホイールを組み込む作業はどうしてもできなかった。手がまめだらけになってどうしようもなくなったので、バイク屋さんにやってもらうことにした。普通こういうのにはそれなりの工賃がかかるものなのだが、タダでやってくれた。その代わり「これはいて乗ってどんな感じになったか教えてくれ。」とのことだった。こういうケースは数十年バイク屋さんをやっていても前例がないという。

NS50F(換装前)NS50F(換装後)


左側が作業前で、普通のタイヤが装着されている。右側が換装後で冬用タイヤが装着されている。
通常に比べて丸みのある部分が少なく、深い溝が掘られている。

タイヤを交換するには四輪同様にタイヤを浮かさなければならない。しかし、バイクの場合は少し難しい。

NS50F(前輪外し)NS50F(後輪外し)


左は前輪をはずした状態で、ジャッキをかけるところがチャンバー(マフラー)のあたりである。
右は後輪をはずした状態で、ジャッキではなくメンテナンススタンドと言うのをかけて後輪を浮かせる。

取り付けは四輪に比べると難しい。なぜなら、取外し・取付けの段階でかなりの数のナット類をはずさなければならない。しかも、必要な場所にグリス(歯磨き粉くらいの粘度を持つ油脂)を塗りながらやらなければならない。
さらに、両輪とも、ブレーキにかかわる部品を一部分解しなければならない。
まさしく自己責任の世界である。

すべてを取り付けた後でしっかりとブレーキの利きやチェーンのはり具合を確認して、その上で初めてエンジンをかけて、まずはゆっくり走る。ハンドリングにかなり強い癖が出る。(車体を傾けにくい)タイヤの形が違う性だろう。雪道ではむやみに車体を傾けられないので、この癖はむしろいい方向に働くだろう。

足回りはこれで大丈夫。なので、これで2006年12月から2007年3月まで乗り切ることができた。

しかし、不満もあった。当たり前のことだが、手が冷たくてしょうがない。防寒具も防寒グローブもフル装備だが、それでも寒い。
ホンダ純正のグリップヒーターもあるが、いかんせん結構高価である。




ヤフオクを見ていたところ、グリップヒーター(郵便カブ用)を見つけたので落札した。
送料抜きで3000円くらいだった。

グリップヒーター(加工前)


しかし、このままでは取り付けられない。郵便カブはほかのカブと比べても完全に電装が特別なのである。その回路図と、NS50Fの回路図を比較したりして、配線の改造を行うことで取り付けられるようにした。本来は温度調整ができるものだったのだが、この過程で単なるon/offスイッチにした。

グリップヒーター(左)グリップヒーター(右)


ヒーター部分は、グリップにまきつけて紐で仮止めしてから熱融着テープと言う特殊なもので固定した。これは普通のビニールテープと違い、一度しっかりくっついてしまうと容易にほどけない。
ただし、こすれるのには弱く、一シーズンしか持たない。シーズンでないときはヒーター部分ははずしてしまう。(スイッチや配線は残したまま)

電気はエンジンがかかったら発生する場所から取るようにしている。具体的にはジェネレーター(発電機)の交流12V(ヘッドライトやテールライトやメーターランプもこれを使っている)からとっている。
ここなら、ヒーターのスイッチ入れっぱなしでバッテリー上がりの心配はない。
消費電流は0.3アンペア程度、消費電力は3.6ワット程度で、これはメーター内ランプの電力と大差ない。

このグリップヒーターの威力は絶大で、手が暖かくなるだけで全身が非常に暖かく感じるようになる。

・・・非常に長くなってしまった。しかも、行政書士開業とはまったく関係がない。
4月か始めて、冬が来る前までには中古の軽自動車でもいいか買えるようになりたいものである。
さもなくば、この仕様のNS50Fにまたお世話になることになる。

冬装備原付バイク(その1)

私は、原付(NS50F)に冬装備を施したバイクを持っている。

車を買えばいいじゃん・・とは言われるが、正直なところ、人生いろいろありすぎてそういう余裕がない。
情けない話だけれど。

現職(一応籍があるから)で仕事をしているとき。あれは2006年の11月のはじめだった。
通勤のため信越線に乗ったものの、急な悪天候のため新津駅で運行打ち切りを宣告された。
これでは、通勤できない。通常こういう場合、労働者の責に帰せざる場合は、休みになってもやむをえない。結局休みになったものの、新津駅から家に戻るのにバスとタクシーを併用してかなりの出費になってしまった。

そして次の日、私が所属していたところの「長」から呼び出しを受けた。
それは、前日通勤不能になったことに対する叱責だった。自然現象に関することまで自分は責任を負わなければならないのか。それだけでは終わらなかった。たしかもっと前の12月に新潟市内大停電があった際、あの時は仕事にならなくなってしまっていた父親から職場に送ってもらって事なきを得たが、もしあのときのことがもう一度あったらどうするのか。ちゃんと通勤できないかもしれない人間をおいておくのは不安だ。とまで言われた。
私は、管理職でもなんでもない、タダの非常勤職員である。「かわりなんていくらでもいるんだぞ」と言わんばかりの態度をとっておきながら、いざこういうことになると「困る」という。ふざけているとしか言いようがない。
(このバイクのいきさつを書いていると思い出してどうしても頭にきてしまう。だから今日はいつもと文体が違うことをご容赦願いたい)

こんなやつが率いるところなんてとっととおさらばしたいところだが、経済上の問題からそうはいかない。公務員試験に受かるか、行政書士などの独立開業できるような資格を得るまで(この場合は開業資金のめどがつくまで)はなんとしても粘るつもりだった。
余談になるが、この「長」はこういう無茶がたたったのか、よそに飛ばされた。私もこの者に対してはそれ以上「えらいひと」に何度もチクリを入れたことがある。
(いまは正式に退職していないので、退職してから勤務先や、ちゃんとした役職名を書こうと思う)

さて、文句はここまでにして、私は「気象上の理由で、交通機関が完全に麻痺。または大停電で交通機関が完全に麻痺」という状況でも問題なく職場にたどり着ける方法を考えた。
職場までは家から30kmほど離れている。そして、私が持っているものの中で何とかしなければならない。

私はCBR250R(89年式)とNS50F(92年式)という二台のバイクを持っている。学生時代からずっと大切に乗ってきたものである。

雪以外の問題ではCBR250Rを使ったほうがいいが、雪となるとそうは行かない。
そこでNS50Fに冬用タイヤを装着すると言う方法を考えた。この方法では、冬の日常の通勤でも自宅から駅までバイクを使うことができることになる。
長くなったので実際の写真などは次の日記に記載することにする。
プロフィール

大塚 義行

Author:大塚 義行
平成21年4月から新潟県田上町で行政書士として開業いたしました大塚義行と申します。
(行政書士登録番号09180501号)
これに加え、平成28年10月から同所で社会保険労務士としても開業いたしました。
(社会保険労務士登録番号15160011号)

昭和51年(1976年)7月24日生まれ。
平成11年(1999年)に地元の大学を卒業。

紆余曲折を経て現在に至ります。

メールアドレス gyousei_ohtsuka-office.jp
(社労士業務用)sr_ohtsuka-office.jp
(注:メールアドレス中の_を@と変えてください。スパムメール対策です。)

URL
http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html
twitter
https://twitter.com/ohtsuka_office

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