暑かった日々(「寒暖」について思っていたこと)
私は今年からは、もっぱら屋内での仕事でしかも温度調整が自由にできるのでかなり楽なのだが、去年までは外仕事だったので本当にきつかった。
去年まで、仕事のあとにブドウ糖(砂糖)の飴をなめながら電車に乗ったものだったが、そんなことをしても体重が増えないくらい…むしろ減った。それくらいきつかったものである。
今年は逆に体重が増えてしまってちょっと困っていたりする。でもまぁ、贅沢な悩みといえるだろう。
昔はこの手の暑さは「根性で耐えろ」「水なんて飲むな」が普通で、そのせいでその考え方が改められるまで多くの人が亡くなった。これの統計は見当たらないが、たぶんかなりの人数だと思う。
日射病という呼び方が「熱中症」という呼び方にいつの間にか変わっていた。たしか10年前くらいだったとおもう。
この種のことが直射日光にさらされている以外でも熱(と湿度)により起きるということが知られてきたから呼び方を変えたと聞いたことがある。
これと同じようなことに、成人病が「生活習慣病」と呼び名が改められたというのがある。成人でなくても成人病のような症状が出ることがあるということが分かってきたからである。
さて、こういうのは呼び方が変わろうとも、人を使う側の人間や自分自身が正しく物事を理解しないと結局は何も変わらないものである。
少し話が変わるが、私はこのブログで何度も書いてきたように「自己責任」という言葉を自分よりも強い立場を利用してぶつけてくるような者が大嫌いである。
熱中症に対しての正しい理解が進んだかのように見えて、何でもかんでも体調不良は自己責任という論調をぶつけてくる者がたくさんいて私は辟易したものだった。
確かに、仕事後に酒をたくさん飲んで、夜遊びした上におなかを出して眠って、次の出勤のときに体をおかしくしていたらそれは間違いなく、体調管理が悪い(つまり自己責任)というべきだろう。
しかしながら、私はそんなことしない。にもかかわらず体調が悪くなる場合がある。
特にここ10年の夏の暑さは異常で、どんなに注意を払ってもどうしようもないこともある。それですら安易に「自己責任」で片付けるのはいかがなものかと思う。
もっとも、私が超能力者で、太陽の「出力」をある程度制御できるのであれば、自己責任と言われてもしょうがないだろう。
今の例は極端すぎた。しかし今の私にはある程度制御できるものがある。それは自分の部屋の室温である。
それがどうしたと思われそうだが、これは仕事中では実は難しい。技術的な意味ではなく、自分が置かれている労働環境次第だからである。
今は「エコ」と称して、夏は28度になるように空調を・・・としているところが多い。
しかしながら、多くの人にとっては28度というのは事務仕事であっても暑いのではなかろうか。
これで「能率」まで求められるのはかなり酷だと思う。
私がかつて仕事で回っていた事業所も多くは「温度は28度に」であったが、実際はそれよりも低い設定にされていたことが多かった。そうしたところのほうが社員も仕事やりやすそうに見えたものだった。もっとも私の場合、外が暑すぎたので本当に28度でも天国だったのだが。
ちなみに私は寒いのは問題ないようで、世間では冬の温度設定は20度が「エコ」とされているが、私はファンヒーターの設定は16度~18度である。寒ければ何か着ればいい。しかし、勉強などに熱中すれば寒さはたいてい忘れるものである。(暑いのはそうは行かない)
ともかく、今の私のようにほとんど自由に自分の室内の温度を制御できる状況下で冷房ケチって熱中症になっても、逆に冷やしすぎて具合が悪くなっても、これは「自己責任」というにふさわしい。
言い方を替えるのなら、ここまでの自由がないのであればこうした言葉を安直に他人にぶつけるべきではない。
大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html

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