昨日、8月2日の長岡大花火大会を見に行ってきた。
家から長岡市街地までは通常なら2時間かからないのだが、今回はやはり長岡に近づけば近づくほど渋滞がひどくなっていた。なので、2時間半以上かかった。
さらに、駐車場の確保が困難で、長岡駅の近くの市営有料駐車場に停めて会場まで歩くことにした。
ついでに、ここの駐車場のチケットを買っておいた。1枚150円(30分分)で16枚で1500円(1枚分サービス)であった。料金体系上最大でも1500円ですむであろう。
結構な距離を歩くことになったが、この職についてからたくさん歩くことが少なくなったので、ちょうどいい運動だと思って会場まで歩くことにした。
午後4時に長生橋(ちょうせいばし)のそばに場所を確保した。ここはナイアガラとか、ちょっと低めの花火が長生橋が邪魔になって見えづらいのだろう。ちょっと遅めだったがすいていた。
午後4時半に急に雨が降り始めたが、自分はシートを本当に最小限にしか広げていなかったので、
シートに雨→それが流れて全部ぬれる→撤収 のパターンに陥らずにすんだ。
自分の傘でカバーできる範囲でしかシートを広げていなかったので、その雨の状態で30分ほど降られていても自分自身はほとんどぬれなかった。
午後7時から花火が始まった。確かに長生橋が「邪魔」だが、考え方によっては、このトラス構造(鉄骨を三角形に組み合わせて強度を上げる構造)のこの橋と花火がいいコントラストになるので、これはこれで悪くないと思う。







日本一と呼ばれる3尺玉…高度600mまで上昇し直径600mに炸裂する…も見ることができたが、残念ながらこの時点でほかの花火の煙が立ち込めていたので、きれいに見ることができなかった。

写真が不鮮明になってしまったが、ほかの花火と同じ位置から撮影しているのにかかわらず、これだけ写真に収めきれないくらい大きな花火であったことに注目していただきたい。
この頃になると、稲光も見えるようになり、三尺玉以外の花火よりも強い光を放ち、大きな音を立てるようになっていた。
この後、もう一つの目玉の「スーパーフェニックス」という花火があったが、それ以前に撤収する人も出始めた。
三尺玉見れればそれでいいやと思ったのか、この稲光で大雨を予測したのかは正直分からない。
なお、「フェニックス」とは伝説上の鳥「不死鳥」の意味であり、中越地震・中越沖地震復興を願いをこめられたものである。
スーパーフェニックスの直前に大雨が降り始めた。それでもこの花火は見事に打ち上げられた。
残念ながらこのときの写真は電池切れで撮る事ができなかった。
私の周りは、私も含めて、シートに座ってみることをあきらめて立ち見でこの花火を見ていた。
なので、スーパーフェニックス直後に「中止」のアナウンスが出たときもすぐに撤収することができた。
いま花火のプログラムを確認すると、あと2演目で終了だった。
きっと決断する側も大変だったと思う。「ここまできたのなら最後までやってしまおう」と「これ以上はまずい」という感じで。
この後、多くの人と雨の中長岡駅に向けて歩いていった。
その際の雨もかなり強く、特に浴衣の人は大変だったと思う。
駅に近づくにつれ「人口密度」も高くなり、警備の人も、民間の警備員から警察官に変わっていった。
それでも信号無視したり、横断歩道でないところを無理やり渡ったりと、警察官の指示に従わない人間が少なからずいた。「祭り」という特別な日なのと、酒の力と、そして集団心理でそうなってしまうのだろうか。そういうことをするのは決まって、いい年の「オトナ」なのである。むしろ、子どもや若者はちゃんとしているという感じだった。
ただ、その「オトナ」が動いてしまうと、集団というのはそれにつられて動いてしまうもので、このことが警備の人にとっての最大の頭痛の種のようであった。かなりストレスのたまる仕事だと思う。
駐車場に行きチケットを出したが、ぬれてしまっていた。多分帰路にぬれたのだろう。
しかも、何かの手違いか何かで出庫が遅れた。ここの管理人たちはチケット販売のときも出庫のときも、良くも悪くも「のんびり」だったが、別に怒ることはあるまい。こういうときに怒ることは意味が無いだけではなく、めぐりめぐって社会に悪影響を与えかねないことは前の日記でも書いたとおりである。
「自分は客だから偉い」という意識を捨てれば(あるいは最初から持たなければ)簡単なことである。
帰りに車で長岡のコミュニティーFMを聞いていたが、「この渋滞でいらいらしたりしないように、同乗者との間で悪い空気が広がらないように」と言う旨のことを何度も言っていた。
この車には同乗者はいないが、もしいたとしたら私の場合、「席を倒して寝ててよ。起きたら長岡から出ていると思うから」というだろう。
渋滞でいらいらはしなかったが、いつもと道路の「空気」が違う。急な飛び出しが考えられるので運転席側の窓はずっとあけておいた。実際、車が渋滞にはまると、車と車の間を横断する歩行者はたくさんいた。こういうときに窓が開いていると状況が非常に読みやすいのである。
市街地を抜け出して次に問題になったのは、私自身、頭が痛くてつらかったことである。
体が寒いのか暑いのかよくわからない有様だった。(車載温度計・湿度計を見る限り普段は快適と感じる環境のはずなので、体調の問題なのだろう)状況によっては暖房まで使った。
FMながおかが聞こえなくなるくらいの距離になっても、まだ渋滞が続いていた。
それでも、なんとかコンビニにたどり着いて少し休息をとったら渋滞も体の不調も緩和された。
家に着いたのは日が変わった0時30分ごろであった。