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新春講演会と賀詞交歓会(長文注意)

昨日、県行政書士会の新春講演会と賀詞交歓会に参加してきた。

会場へは車で行き(酒が出るのだが、私は飲めないので問題ない。行政書士になってから無茶な飲酒の勧めは受けたことが無い)会が始まるまで、知り合いの行政書士の先生と話したりしていた。
ところで、賀詞交歓会というのがいまいち分からない。で、何をするのか聞いてみたところ…
「酒飲むんだ」
とのことであった。
じゃぁ、私の場合は、食事と賀詞交歓(がしこうかん)ならぬ名刺交換(めいしこうかん)会だなと解釈した。

講演会は、行政書士がこれから入っていこうとする成年後見制度関係でどうしても出てくる「高齢者福祉」の問題を専門とする方が講師であった。

成年後見のきっかけの多くは認知症で判断能力が十分でなくなり、法的な代理人をつけましょう…という感じで始まる。
認知症になる多くの人は高齢者で、たいてい加齢でどこかしらに病気や障害を持っている。
ゆえにそうした方たちの介護はしない(できない)が理解が絶対に必要であると思う。

講師の先生は、もともと「暗い」イメージが付きまとう介護について、それを払拭しようと活躍し続けている方であった。
現状の日本の福祉にはもちろんリハビリテーションの概念があるが、それは肉体面においてのみである。
この概念は、「本人の残存能力を生かしてQOL(生活の質)を維持しよう」という考え方である。
社会保険労務士の勉強でも同じことを学ぶ。

成年後見の講習では財産管理、身上監護(介護ではない)は「本人の残存能力があるならそれを尊重し…」とある。

これらいずれにも欠けているのが、高齢者の精神面のケアである。

講師の先生があげていたケースは、高齢者施設の「歌の時間」で歌わない女性の高齢者がいる。
私だったら、声を出すのが苦痛なのか、歌が下手で歌いたくないとかの理由があるのかな?と考えてしまうと思う。
講師の先生はこの女性に声をかけて、「どんな曲なら歌ってみたいのか」を聞き出す。
その曲(シャンソン曲)をピアノで弾いてみたところ、まるで別人のようにシャンソンをそれもフランス語で歌い上げたという。

私はこの女性の気持ちが少し分かるような気がする。なぜならある意味同じような経験を何度かしてきたから。

高齢者施設側からしてみれば、「高齢者にはこれくらいがいいだろう」と音楽のレベルを合わせる。個々の能力にかまっているほど暇ではないのだろう。

何らかの能力を持ちながら、それを生かされず「お前はこれでもやってろ」というそういう扱い。
これは精神的にひどくやられるものである。それならまだ、私が目指しているものよりもさらにハイレベルなことをあっさりと目の前でやられたほうがはるかにマシである。

パソコンが使えるにもかかわらず、それを使わせてもらえず、下手な字の手書きで領収書(つまり顧客が見る)を書くことを命じられ、となりでパソコン苦手な人間がパソコンを使っている…。この是正を求めて声を上げることがムダなのも経験上しっている…。などきりが無い。ほかにもたくさんあるが、説明に専門用語が必要だったり、書き始めると話が大幅に脱線する。

精神面でやられてしまうと、それは徐々に肉体面もやられてしまう。その逆もまた然りである。これも経験済みである。

年を重ねるということは、だんだん衰えこそすれ、よくなっていくことがまず無い。そして、最後にたどり着く場所は同じである。
ここが幼児教育との根本的な違いだと思う。幼児教育の場合、成長とともにいろいろなことができるようになっていく。これは、それに携わる人にとって大きな喜びであることは想像に難しくない。

しかし高齢者介護はまったくその逆である。なので、それに携わる人も精神的に負担がかかる。すると前述したように肉体的な負担もかかる。あとは負のスパイラルに陥り、離職者が増えていき経験者が少なくなって介護業界も…ということになる。

これは講師の先生もおっしゃったことであるが、そうなると今高校生で新たに介護業界に進みたいと思っている子だって周りに「それだけはやめとけ」ととめられたり、たとえ進んでも、実際に業界に入ったら持たなかったりという現象が起きる。

だから講師の先生は「介護のイメージから変えていく動きをしなければならない」と主張する。

いいイメージがあればいい人材が入ってくる可能性が高い。また、いい人材が定着する可能性も高い。
そうすれば介護の業界にもっといいイメージを持つ人が増えるであろう。

また、講師の先生は高齢者介護自体「教育的効果」があるという。
この一つの例が、高校をろくに出席せずに退学になった(元)女子高生2人の例である。
この二人はある高齢者施設でボランティアとしてほぼ1年無遅刻無欠勤で通したという。
一般の人間の見方をすれば、この二人は「落伍者」とみなされ、ネットではDQN(「ドキュン」と読む。意味は検索していただきたい)と呼ばれる存在である。

何のボランティアかといえば、「高齢者にマニキュアを塗る」という驚くべきものであった。が、この2人は1週間かけてそれを遣り通した。ところが、マニキュアは時間が立つと落ちるのでまた塗らなければならない。
つまり、この2人の仕事は半永久的に続くことになる。言い換えると、この2人は半永久的にこの場に必要な存在となる。人間というのは他人から本気で必要とされるとうれしいものである。(ただし、これが「あんた以外にもいくらでもできる人間はいるんだ」という態度が少しでも混じっているとそのうれしさが消えてしまう。)

行政書士として言わせてもらえば、あえて自分を選んで仕事を依頼してくれたというのはこれと同じくらいうれしいものである。

ところで、この女子高生の容姿は、一人は髪の毛を白に染め、もう一人は紫に染めていた。また、暗い色のマニキュアをつけており、さらにあちこちで座り込むようなことをしていた。
外見や振る舞いはどうみても典型的なDQNである。

が、ここからは面白くもあり、感動もした点である。
この女子高生を見た高齢者は、施設の長に苦情を入れた。「あんなふざけた格好のヤツを施設に入れるな」ではなく、
「若いのに白髪だらけになっている子がいる。若いのに相当な苦労をしてきたにちがいない。なぜ行政はこの状況を放置してきたのか!」とか「2人ともつめがひどい色だ、栄養状態が悪すぎるんじゃないか。こんな状況をほおっておいた行政はけしからん」とか「あの座り込みは戦後まもなくの廃墟状態の町中を思い出す。今でもそんなところがあるのか」…すべて勘違いなのだが、その勘違いがすべてその子たちを思いやっている方向に向いているのである。

そういえば私自身は、行政書士になる以前は会社の外で似たような(勘違いの場合もあったけれど)思いやりをもらったケースが多々あったと思う。

この女子高生2人は、一般の学校教育では与えられなかったものを高齢者施設から与えられたことになる。
一つは「他人から必要とされること」もう一つは「他人から尊重されること」である。
これが人間らしく生きるのにいかに重要かは私自身にもよく分かるつもりである。


講演って多くの場合、時間が長く感じるものなのだが(私は)、今回の講演はおよそ1時間があっという間であった。


この後は、名刺交換会…ではなく賀詞交歓会であった。来賓の方の祝辞と紹介があり、その後に乾杯があった。
私はもちろんウーロン茶である。

そのあとはやっぱり名刺交換会になったわけであるが…。この業界、33歳だと「若いね~」と言われる。
主に同じ行政書士の先生との名刺交換だったが、中には政治家(またはその秘書)の方との名刺交換もあった。

名刺交換をした人の中に、私の父親とその人の奥さんが同級生で、その人自身が父親の兄と同級生だったというケースもあった。こういうことがあると、本当に世の中狭いなと思う。

実は私はこうした場は割りと苦手なほうであると思っている。単に「堅苦しい」のであればまだいいのだが、いろいろな人とコミュニケーションとってというのは、私自身、人の顔と名前を忘れやすいというのがあってなかなか難しい。
かといって、相手の方に私はこういう事情があるので配慮して欲しいなどとは言えない。

この後、賀詞交歓会はお開きになったのだが、このあと二次会があるそうである。このことは事前に配られた案内には書いておらず、当日になってからある先生から聞いた。

こういうのにも積極的に参加するべきなのだろうが、上記の理由で精神的にかなり疲れていたので早々に家に帰ることにしたのであった。


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著作権相談員養成研修会とその後

昨日、行政書士会で行われた「著作権相談員養成研修会」に参加してきた。
私はこの種の研修会に参加するときは、行政書士会の近く(数百メートル)の駐車場に入れておくのが通常である。
なぜなら、ほとんどの研修会では参加者が多く行政書士会の駐車場がすぐに満杯になるからである。
こういうところでは「早い者勝ち」の理屈は適用すべきではない。なぜなら、こうしたときの駐車場はまず

1、講師の先生
2、高齢・体が不自由などの理由で、あまり歩けない人・歩くのがつらい人
3、会場の設営のために必要な機材を持ち込まなければならない人
4、公共交通機関が不便な場所から出席している人
の順で優先されるべきであるからである。そして私はこのいずれにも該当していない。

今までの研修会(特に成年後見)では、行政書士会では初めてだったので、参加者が非常に多かった。
しかし、今回の著作権の研修会では参加者が非常に少なく、いつもどおり有料駐車場に入れてから行政書士会に来てみたら車がほとんど無かった。
この研修会はほとんど毎年行われているそうで、一度参加すれば次の年からは出ないという感じのようである。だから参加人数が少ないんだなと納得した。

この研修は成年後見の講習と違い、午前から午後まで1日フルに使って行われた。なので、午前の部が終わってから行政書士会事務局の了承を得て行政書士会の駐車場に停めさせてもらった。これで少しは駐車料金の節約になる。

肝心の研修の内容であるが、著作権関係の法令が改正された直後の研修だったので、最新の情報を得ることができた。
また、著作権について知らなかったり、誤解していた点が意外とあったので、その点についても非常にためになった。

著作権での「○○権」とは他人が無断で○○することをとめることができる権利である。(許諾権)
この辺の明確な定義は知らなかった。

また、「二次創作物」と似ている「二次的著作物」というのがあることも知った。
後者はたとえば、元の著作物を原作として映画化したり、翻訳して出版したようなものをいう。
これを作るには原作の著作者の了解が必要である。

二次創作物とは、同人誌などの世界で、元の漫画やアニメ、ゲームなどのネタをパロディー化して創作されたものを言う。この世界ではほとんどの二次創作物は原作者の了解を得ていない。
つまり、厳密には著作権法違反の状態であるが、原作者が黙認している限りでは二次創作物で対価を得ていても(グレーゾーンではあるが)いいということになる。
実は原作者側にもメリットがある場合がある。二次創作物から原作を知って興味を持ち原作を購入するというケースが結構多いのである。たとえば、原作が1作品あるとして、これがよいものであるのだがあまり知られていない。(一般に同人作家は広告能力が乏しい場合が多い)これを見た二次創作者が多く現れた場合、原作者側から見て結果的に勝手に宣伝してくれたことになる。
私の場合、去年の6月のブログで書いた「東方Project」のシューティングゲームの存在を二次創作で知った。
商用作品(一般の出版を業とする企業が出版したもの)でも無断の二次創作に寛容なところもある。
これは「勝手に宣伝」の効果を期待しているケースが多いのだが、中には「二次創作された」事自体を原作にフィードバックして更なるネタにしているケースもある。
つまり、原作者と二次創作者が共存共栄しているのである。

一方、著作権について非常に厳しいところもある。本来はこちらが通常の形なのだろう。
私もブログを書いたり、ホームページ作成の際には注意しなければならない。

講師の先生によると、著作権法違反の被疑者は罪の意識が非常に薄く、逮捕状を突きつけられても「何で?」という反応をする被疑者がほとんどだそうである。

この研修には修了考査があり、これに合格すると「著作権相談員」と名乗ることができるようになり、文化庁をはじめ、いくつかの団体にその合格者名簿が送られるようになっている。
ただし、これはあくまでも行政書士会が行っている考査に合格したというだけで、文化庁の認定資格ではない。

考査の採点は終了後即時に行われ、私は合格することができた。…が正直言ってもうちょっといい点を取りたかった。

午後の研修が始まってからずっと吹雪いていたので、離れた駐車場から行政書士会の駐車場に移動しておいたのは正解であった。
一人の先生がこの駐車場にいらしたので、最初は「ああ、タバコ吸おうとしているのかな?」と思った。
最近は、喫煙者(マナーのいい人に限る)にとって非常に厳しい社会環境にあることは非喫煙者であり、タバコに一度も口をつけたことすらない私でも理解している。多くの建物内で喫煙できない(行政書士会もダメ)、歩きタバコもダメ、公共交通機関の中でもダメ、他人の車の中でも多くの場合はダメ…となれば、こういうところで携帯灰皿を持って吸うしかない。

マナーの悪い喫煙者は社会的制裁を受けるべきだが、マナーのよい喫煙者には社会はもう少し寛容でもいいのではないかと、私は思う。

この先生にお声がけして、タバコ云々でもなければ、この研修会のあとの予定もなくあとは事務所に戻るだけとのことだったので、私のほうから「帰りの方角も変わりませんし、乗っていきませんか?」と言った。
あとで分かったことなのだが、これほどまでに天候が悪化するとは考えておらず、傘が無く駅までどうしようかと思った…とのことであった。

で、車のエンジン掛けてみると、異音がする。にしてもどうして私一人とか、私の家族が乗っているとき以外に限ってこういう音が出るんだろうと思う。「ある意味、違法改造車よりもみっともないなぁ…」とつくづく感じた。

そのまま先生の事務所まで行き、そこでお茶を頂いて少し雑談をした。実は田上よりも遠くまで走っているのだが、そんなことは気にしない。気にするのであれば、そもそも「乗っていきませんか?」なんて言わない。

そこで、いろいろためになるお話を聞かせていただいた。これを概略だけでも書くと長くなるのでばっさりと省略する。

今日は研修とあわせて非常に有意義な時間をすごすことができた。

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聴聞・弁明代理講習とその後のお話

先週21日に「聴聞・弁明代理講習」というのが行政書士会であった。

この聴聞・弁明の代理の付与というのは、行政庁の行った不利益処分(許可の不許可、法令違反による取消し処分、身分の剥奪などの処分など)に対し、程度の重いものは「聴聞(ちょうもん)」それ以外は弁明の機会の付与という、処分を受けた側の「反論のチャンスを与える」というものである。

実は聴聞という言葉は法律を学ぶ前から聞いたことがある、バイク雑誌で「免許取消し処分」をなされようとしていた人の体験談の中でこの「聴聞」という言葉を始めて聞いた。たしかに、運転免許取消しは「法令違反による取消し処分」に当たる。

ちなみに行政用語の「処分」とは行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう(行政手続法第二条2)
なので、実は免許更新の際も実は「処分」をされている。ただ、誰も損をしないし、実際それに携わる公務員もそこまで考えていないと思う。
運転免許更新すると、いろいろなものが入った袋がもらえないだろうか?その中に小さい紙で「この処分に不服がある方は、処分を知った次の日から60日以内に新潟県公安委員会に審査請求することができる旨が書かれていたりする。

話を戻して、聴聞ってことになると、行政庁に対して事実上一種の争いを起こすことになる。
前の「特上カバチ」の話で、行政書士は他人と争えない旨を書いたが、ここで問題が起きる。
一方、改正行政書士法で聴聞、弁明の機会の付与の代理権が付加された。
そうなると、行政書士は、実質どこまで関与できるのかが問題になる。講習を受けてきて、復習してみたが、いまだにそのボーダーラインが不明瞭である。

許認可を与える行政庁が重大な事実誤認をして、その結果不許可とされたケースとか、そんなのにしか適用できないように、今の私には思える。

今回の講師の方は関西の方で、新潟の雪に驚かれていた。でも、もしもう1週間前に来たら驚くだけではすまなかったと思う。

この講師の先生は、当時先生のところであった役所の行き過ぎた行政指導、その役所の許認可に係る独自の判断基準(内部マニュアルがあった)を法律を武器にしてそれに立ち向かい、そうした不当なものを一切排除したという経歴のあるつわもので、それでいて経歴を見ると私よりも4歳年上でしかなかったりする。

繰り返すが、私にとってこの講義は難しすぎると思った。復習すればするほど、新たな疑問点が出てくる。

この先生の講義のあとで、近くにいた先生と話し込んだ。
講師の先生は役人と戦うというスタンスのようだが、私はむしろ役人を信じている。という話をしたところ、その先生も乗ってくれた。
その先生は行政書士のキャリアがかなりあり、その先生の駆け出しのころに先輩の先生に「役人とはケンカするな」といわれたそうである。
私は、誰からも言われるまでも無く役人とはおおらかに接するようにしている。(というか、おおらかに接しようとするのは誰に対してもそうである)
私が役人を信じているのは、きちんと抑えるところを抑えていれば、多少変なところがあったとしてもなんとか対応してくれることが多いということ。言い換えれば、結構融通が利く。

一方、私がいままで勤めていた民間企業では、そんな融通が一切利かず、その根拠もあってないようなものであったりする。一方、私以外の人間が同じことをやると許されたり、そもそも初めからなにも問題が無いように扱われたりしていた。どうしてそうなるのかはわからなかった。もう考えても無駄であろう。

お役所は、正直に「分からないので教えてください」といえば、「あんた行政書士でしょ?」などと言われることも無く、親切に教えてもらえる。

確かに昔の役所は横柄な人が多かったように思う。しかしながら、いろいろな批判があってマナー教育がなされて改善されたのではないのかと思う。当然民間でももっと前にやっていた(はず)なことである。

しかし人間というものは、同じ教育を受けても同じ結果を出すことができないものである。
マナー教育を受けても横柄さが抜けない人間はたくさんいる。それが私の場合、私が所属していた民間に多かったというわけである。
何が違うのか。ぶっちゃけていうと、その人の生まれつきの素養なのではないかと思う。
そういう素養が無い人間が教育を受けても、忙しさで余裕がなくなると簡単に「めっき」がはがれてしまう。
そんなのを何度も見てきた。

この先生との話しに話を戻す。
この先生は、お役人を根本的に「性悪説」で見ているそうである。(講師の先生も、そうであるはずである)
一方私はお役人を「性善説」で見ている。…という大きな考えの差があることが分かった。

しかしながら、重要な共通点を見つけることができた。どちらも「人によって態度を変えない」ということである。
自分にとって「格上」「格下」と区別して態度を変えるようなことはしない。
この態度は二人とも車の運転するときにも通しているというところまで一致した。
お互いに、たとえば「軽自動車に割り込みされたときと、その筋の人が乗っていそうな高級外車に割り込みをされたときと、態度を変える必要がどこにあるのか?」と考えているということである。
ちなみに私の場合、めったにクラクションは使わないが(いまのアトレー7も4月から乗り始めて5回程度しか使っていない)本当に必要であれば、相手がその筋の人だろうが、パトカーだろうが使うし、前の仕事時代に実際に使った経験もある。パトカー側が信号無視(西日で信号が見えなかったと思われる)して衝突しそうになったので使った。
本当に必要なだけ鳴らし、ヒステリックに鳴らすようなことがなければ問題はまず起きないだろう。

ちなみに、私の経験から「”ある種の属性”を持っている車は非常に危険で、十分な注意を要しませんか?」と聞いたところ、先生もまったく同じことを思っていらした。

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「特上カバチ」を視聴して思ったこと。

日曜の午後9時から「特上カバチ」という行政書士を扱うドラマがあった。
この「特上カバチ」の前作がかの有名な「カバチタレ」である。

この前作のおかげで行政書士という存在が広く認識され、行政書士試験の受験者が増えた。
ただ、そこはドラマ、行政書士の現実に即していないところが多く、「カバチタレ」の世界を夢見てがんばったのに…というひともたくさん出してしまったようである。

で、今回の「特上カバチ」多分前回の同じ轍を踏むと思う。
ドラマを制作するに当たって、どうしても「大げさ表現」は演出の一つとしてある程度は許容されても仕方が無いという考え方もある。たとえば、刑事ドラマでは拳銃を撃ちまくったり、二十数年前の刑事ドラマではあちこち爆破しまくったりした。でも、一般の方は「警察」というのをある程度知っているので、「これはドラマだよ」と大げさ表現と理解して許容してきたのだと思う。

しかしながら、行政書士というのは、世の中の縁の下の力持ち的な役割を持ちながら(許認可に関すること、遺言、相続に関すること、その他諸々で他人との争いが無いことを行っている。いわば平時の法的事務をほとんどの人が知らないうちに円滑にしている)実際はほとんど「行政書士」というものの存在をそもそも知らない。知っていてもよく分からない。私が以前の職場をやめるときに、職場の人や出先のお客さんに「行政書士を始めるので…」と言ったところ、第一声は「行政書士ってなに?」がほとんどだった。ほかには公務員の一種と間違われたり、「見習い弁護士」(…弁護士の「機能限定版」のようなものなのだろう)だと思われたり…。
たった一人の人だけが「ご専門はどうされる予定ですか?」と聞いてくれただけに過ぎなかった。

こういう状況下にある「行政書士」を「大げさ表現」でドラマにされると本気で誤解する人が増えてしまうと思う。

行政書士は相手方に対して示談交渉なんてできないし、自分の信念を依頼人に押し付けるようなことなどできない。また、法律を武器にとはいうが、法律を依頼人にとって有利に解釈して現実に適用して問題を解決することは弁護士にしかできない。
行政書士の場合は、争いの無いことを中立的な立場で現実に適用して問題を解決するにとどまる。

クーリングオフの件、これはあくまでも依頼人の意思を相手方に伝達することを目的に、その意思を文章にして内容証明郵便として送る。行政書士としてできるのはコレだけである。もし受け取った側が「なんだこれは!」と言ってきても「早くクーリングオフに応じてください。」とかいってはならないのである。
言えるのは、「私は依頼人の意思を法的な文章にしてあなた様にお送りしただけです。疑義があるのであれば本人(依頼人)に言ってください」くらいである。

もっとも、クーリングオフが正しく成立しているのにもかかわらず、相手方がそれを無視した場合、本人が裁判または少額訴訟を起こせば確実に勝つことができるはずである。相手もそれがわかっているので、それを無視することはまずないといえる。


あと、途中ではさまれたクイズ形式の「できる・できない」の問題。「できる」とは言うものの、そのために詐欺などがあったことを立証しなければならないことが多く、その立証責任は立証することによって得する側が行うことが民法上の原則である。ただ、これだと明らかに消費者側が不利なので、一定の条件の下にその立証責任を免除できるようにしたのが消費者契約法などの消費者保護の法律である。
ちなみに、消費者側が「事業目的」で購入した場合はクーリングオフの対象にはならない。商売やっているんだったら、モノや契約書をしっかり確認するのが当然でしょうと立法者が考えているからである。


ほかにも問題がたくさんある。浮気された夫A、その妻B、Bの浮気相手のCという関係があった。
夫Aは妻にも浮気相手のCにも慰謝料を求めることができる。今作ではCに浮気に対する慰謝料を求めることにして、行政書士の先生に依頼した。Cは金策に走り、消費者金融で足りない分は、クレジットカードのショッピング枠でブランド物を買って質屋で換金、200万円の慰謝料をつくった。
これを浮気相手Cから夫Aに渡せばまだいいのだが(実際はこのプロセスにもかなり問題がある)
実はこの行政書士は妻B(夫Aと別れたいと考えている)の離婚相談を受けていて、200万円の慰謝料を取ろうとしていた。

結局、その200万円は妻Bの元へ。で、「男って馬鹿よね~」とも言わんばかりの行政書士と、妻B。
私がTVドラマを見なくなったのは、この種の男性蔑視、女性優遇的な思想が蔓延してうんざりしてきたからであったということを、今回の件で思い出すことができた。
法的な話に戻ると、この行政書士の行為は「双方代理」に当たる可能性があるのではないか。
民法では一部例外を除いて双方代理を禁じている。双方代理に関しては長くなるので検索で調べていただきたい。


そして、もう一つ思ったことは、弁護士ならともかく、「争いに関与できない」行政書士が「依頼人のためであれば、相手を地獄に叩き落すことをためらわない」というのはおかしいのではないか。
行政書士が争いに関与できないのであれば、その職務範囲で依頼人の利益になるように行動するようにすれば、必然的に「争いを予防する」方向に考えなければならないはずである。


ちなみに私の場合、争いになっている(紛争性が高いという)話が来た場合は、法テラスなどの機関を紹介することにしている。(この機関も必死の宣伝の甲斐なく一般人の認識度が低い)
この際に私がするのは、争いの争点をうまく整理して、感情的なことを極力排除して、最終的にはどうしたいのか。譲歩はどれくらいできるのか。相手はどう思っているのか。などを紙に書いておくとスムーズに相談ができるという「助言」をしている。


借金問題に関することも当事者が3人出ている。このドラマのなかでは一番難しいと思われる「債権者代位権」がでてきたのだが、これだって「法律ではこうだから」といきなり大上段に構えたから、男の友情も商売上の信頼関係も破壊されてしまった。女性行政書士は「男の友情なんてくだらない」とはいうが、20年以上続いてきたであろう友情を否定するような言動はいかがなものかと思う。(ここにも「男性蔑視」の思想が見えている)

もっとも、一番最初にお金を貸した人も、友人から借金しなければ経営が成り立たなく、しかも売掛金も取り立てられない「経営者」もかなりの問題があるとは思うのだが…。

ちなみにもし私のところにこういう相談がきたら、一番最初にお金を貸した人(医学部進学予定の息子あり)には奨学金の利用可能性を模索すべきと助言するし、八百屋の経営者には商工会などで低金利融資の相談をしてみればどうかと助言するだろう。

いずれにせよ、いきなり「債権者代位権行使」の内容証明郵便をニューハーフバー(?)の経営者に送りつけるのは下策でしかないと思う。こんなことするくらいなら、八百屋の経営者がこの事情をニューハーフバーの経営者に話して、売掛金を回収したほうがまだ話が通りやすいだろう。


さらに、行政書士補助者と、監督者である行政書士との関係にも問題がある。
行政書士補助者は、はっきり言って「青すぎる」こういうのを熱血漢と呼ぶべきではない。単に感情が入りすぎているだけである。

監督者たる行政書士は監督不行き届きである。行政書士本人が示談交渉のようなことができないのは前述のとおりだが、それなら補助者だってできないのは自明である。それなのにその状況を知りながらとめずに、補助者が失敗したことを叱責し、しかもその始末を補助者につけさせた。

結果的に補助者の行動は最終的にはうまく行った様だが、このドラマの行政書士(と補助者)は混沌しか生み出していない。
混沌の対義語は「調和」であり、これは行政書士バッチのコスモス(秋桜)の花言葉でもある。

たかがドラマとは言えばそれまでだが、あまりにもひどすぎるので、ここまで長文を書かせていただいた。

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自動車関連業務地域拡大

このたび、自動車関連業務の拡大を致しました。

今までは、変更登録・移転登録は「新潟」ナンバーの地域のみでしたが、このたび「長岡」ナンバー地域も行うことに致しました。

また、軽自動車・二輪車のナンバープレート変更が伴う変更登録・移転登録も行うことに致しました。
(普通車でこれができないのは、普通車には後部ナンバープレートに封印があり、現在の私には出張封印の資格がないからです。平成23年4月をめどに取得したいと思います)

さらに、これに伴って車庫証明の出張範囲を新潟県全域(ただし佐渡市は除く)に致しました。
こちらのほうの料金はまだホームページに掲載しておりませんが、近日中に掲載する予定です。

つまり長岡以南も対象にしたわけですが、料金設定に非常に苦労しました。
できるだけ合理的に、なおかつ地域差が大きくなりすぎないように、そしてある程度の利益が得られるように調整するのは非常に難しいです。

この料金設定ですと、正直申し上げて上越地域の行政書士の先生に依頼したほうが多分安く上がるのではないかと思います。
とはいえ、ネットで検索したところ、自分のページに車庫証明の報酬を明確に掲載しているところが少ないので、実際はどうなのだろう?という気もします。

近いうちに自動車を購入・買い替え予定で車庫証明をどうしようお考えの方は、ご検討くださいませ。

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ものすごい雪

昨日名刺を注文したところに、午後に車で取りに行こうと外にでたら家の前の道路が30cm以上の新雪で覆われていた。

午前中に車を動かしたときにはせいぜい20cm程度で走行に支障はなかったのだが、30cmを強行突破しようとすると、いくらスタッドレスタイヤとは言えども車体下部で圧雪になってスタックしそうになる。

一晩中かけてこれくらい積もって朝方に除雪車が来るパターンは珍しくないが、今日は日が出ているうちにどんどんつもるパターンで除雪がまるで間に合っていない状態である。

また、雪質はパウダースノーでこれは気温が低いことを意味する。

名刺を受け取ってまた家の前に戻って車庫入れしようとバックを始めたら、とうとうスタックしてしまった。
しょうがないのでスノーダンプ(除雪道具…普通のスコップよりも一度に多くの雪を除雪しやすい)をつかって車体下部の雪を取り除いて、スタックから脱出した。
いくらスタッドレスタイヤがよく、またスピードがほとんど出ていないからとはいえ、スタッドレスタイヤを過信してはいけないということである。

今年はまだバイクを「冬仕様」にしていないが、バイクの場合、タイヤさえ何とかなればこういう形のスタックは起きにくい。急に大雪になって、なおかつ急用ができた際に家の前の除雪が間に合わないという状況が今年はありうるのでタイヤの交換はしておこうと思う。
元はオンロード車とはいえ、普通の車よりは雪道走破性は高いだろう。

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そろそろ成人式の時期だが…。

この3連休のうちに、多くの自治体で成人式が執り行われると思う。

ここ10年くらい、「暴れる新成人」のニュースが絶えることがなかったように思う。
もっとも、報道する側としてはそのほうが「ニュースになる」ので、そういうのばかりクローズアップするので「めちゃくちゃ増えた」ように感じるだけなのだろうが、そういう事案の実数が増えたことは間違いない。

なぜそうなったかを考えてみたことがある。
一つは、上記マスコミ過剰報道で、それさえなければ何もしなかった人間が「俺たちも”目立とう”ぜ!」と考え、それに同調する人間が騒ぎを起こすというケース。
もう一つは、今のご時世「俺たちの人生のピークはここだ」(と思い込んで)だから「だったら、人生最大の”度派手なこと”をやってやろうぜ!」と考えてしまう人間が増えてしまったからだ…と私は思う。
こうなったのは、昨今の経済状況の「先の見えなさ」と円高になっても円安になっても(これは一例です)ネガティブな報道をするような姿勢が余計にこの先の見えなさを加速させているからだとおもう。
この問題はどの類型にせよ、報道の影響が極めて大きいと思う。

で、実際に新成人が騒ぎを起こしたら「キレる新成人」でニュースのネタを手に入れるのは報道陣である。

ちなみに私の時の成人式は、一部の人がちょっとかっこつけた、ちょっとうるさめの車で乗り付けて、一部金髪にして(これでも13年前は斬新だった)紋付袴を着て大またで闊歩した程度であった。
これなら別にたいした実害もないし、式そのものは厳粛に執り行われた。

私の住む田上町では、今のところ「キレる新成人」が騒ぎを起こしたという話を聞かない。ちなみに田上の場合3月ごろに式を行う。

これからも何事も無いように願っているが、いわゆる「ゆとり教育」の人たちの動向が心配である。
彼らのうち、少なくない人間が「明らかにこの判断間違っているだろう」という行動に出ていると感じる。
これについては、正直言うと成人式の件よりも書きたいことがたくさんあるので、また別な機会に書こうと思う。


それはともかく…
新成人の皆さん、おめでとうございます。

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あけましておめでとうございます!

少し遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

元旦は寝正月でした。2日は年明けに「任意後見制度講習会」の講習と考査(試験)があるので、勉強していました。
一般の資格試験と違って、どのような問題が出されるのか、難易度がどの程度なのかまったく不明なので、その点で少し不安だったりします。

しかし、今年のスタートダッシュを決めるという意味でもがんばりたいと思います。

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プロフィール

大塚 義行

Author:大塚 義行
平成21年4月から新潟県田上町で行政書士として開業いたしました大塚義行と申します。
(行政書士登録番号09180501号)
これに加え、平成28年10月から同所で社会保険労務士としても開業いたしました。
(社会保険労務士登録番号15160011号)

昭和51年(1976年)7月24日生まれ。
平成11年(1999年)に地元の大学を卒業。

紆余曲折を経て現在に至ります。

メールアドレス gyousei_ohtsuka-office.jp
(社労士業務用)sr_ohtsuka-office.jp
(注:メールアドレス中の_を@と変えてください。スパムメール対策です。)

URL
http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html
twitter
https://twitter.com/ohtsuka_office

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