2月15日の午後9時ごろ、東京の高円寺(こうえんじ)駅構内において、
泥酔状態の女性がホームに転落、通りかかった男性が列車通過直前にホームに降りて救助。
女性は転落時でのケガで軽症、男性は無傷であった。
…というニュースを読んだ。
このニュースの続報を聞いていると、この男性が非常に的確な判断で行動していることが分かる。
女性をホームに押し上げようとしたわけでもなく(これでは間に合わない)
女性を待避所に押し込もうとしたわけでもなく(これも間に合わない)
とった手段は、前代未聞であろう、「線路に平行に女性を寝かせた」この状態で列車を通過させ、
男性は退避壕(ごう)に避難した。
列車と地面の隙間は20~30cmであったといい、女性が途中で起き上がったら助からなかった。
また、この隙間が予想以上に狭かった場合も助からなかっただろう。
最初、この男性、こんな隙間のこと知っているくらいだから鉄道マニアかな?と思った(こういう情報を瞬時にはじき出せてこそマニアであるとも言える)のだが、インタビューで「(助かった要因として)列車の運転士さんが必死でブレーキを”踏んだ”のもあると思う」という発言があり、この男性は鉄道マニアではないことが分かった。
鉄道のブレーキは「踏む」ものではない。レバーを押すか引くかするような操作をする。マニアならこの辺は絶対にこだわるはずである。
私自身は、転落者を救出したことはないが、転落者をいち早く知らせた経験ならある。
正直、このことは心の中にずっとしまっておこうと思っていたのだが、このニュースに触れてから眠ったときに夢でそのときのことを見て思い出してしまった。これをきっかけとして、そのときのことを少し書こうと思う。
当時、私は電車通勤をしていた。その日は私用で新潟駅にいて、折返し運転の新潟発長岡行きの列車に乗っていた。
真昼間で駅の中も電車の中もガラガラだった。とても、上記男性の事故がおきた地域では考えられない状況だと思う。
この電車は長岡方面から入ってきてから10~15分止まったままなこともよくあり、その間運転手と車掌がポジションを入れ替えたり、人員の交代が行われたりしているようだ。
この電車は2番線に止まっており、1番線はなにも入っていなかった。そのとき5分後に1番線に特急が入ってくる旨が放送された。
私は左側(これから進行しようとしている方向を基準とする)の窓側のボックス席に進行方向に向いて座っていた。
何気に1番線のホームやら線路を見ると……!
線路の上に高齢の女性がいる。なにやら「ぽかん」として状況が把握できない状態であるようだ。
パニックに陥っているのとも違うように見える。外傷は見られない。
そして、この女性の身長の関係で1番線ホームの人間はだれもこの人に気がついていない(死角にいる)
この列車の運転士や車掌は持ち場にまだ着いていない可能性が高い。この列車の中で気がついたのは私だけではないようであるが、誰も何もしようとしない。
なので私が行動を起こすことにした。
こういう「死地」でかつ、「(正当な)自己責任」が成立する(つまり、誰からも不当に干渉されないということ)状況下において、私はどういうわけか思考能力、運動能力が急激に上がる特質を持っているようである。
(以前書いた、追突されたときの対応参照)
ちなみに「死地」とは、このままだと人が死ぬような状況をいう。おそらく、最初にこの言葉を使ったのは兵法書「孫子」(そんし)であろう。およそ2600年前の話である。
ともかくこの状況は「窮地」どころではない。
この列車は窓が開くタイプだったのが幸いだった。窓を開け、ホームにいる人に「1番線に人が落ちている。駅員さんかおまわりさんに連絡してくれ!」と大声を出した。私は大声が出すのがあまり得意ではない。
だからといって、何もしない理由にはならない。
最初反応が無かったので、誰かを指差して改めてもう一度叫んだ。
こういうとき「どうせほかの人がやるから。自分はいいだろう」という集団心理に陥りやすい。
だから、誰かを名指しするのは効果的である。実はこのことは心理学実験で立証されており、私はこのことを知っていた。
なお、ホームには非常停止ボタンがない。また私はそのことを知っていた。
程なく駅員さんが状況を確認し、その後すぐに警察官がやってきた。
彼らがひっきりなしに無線などをして連絡を取り、入線間近の特急を停めたようである。
1番線の安全が確保された後、数人が降りてその女性をホームに引き上げた。
それを確認した私は窓を閉めた。私の役割が終わったからである。
今回の男性のような間一髪の救出劇の場合、「自然と体が動いていた」ということが多いのだが、
私の場合は考えてから行動する。ただし、普段と違って恐ろしく早いスピードで思考回路が働くようである。
一流の棋士がどんなときも何手も先を読むようなことを、私は条件限定つきでできてしまっているのかもしれない。
いまから考えると、普段の状況では短時間にこれだけ多くの状況を整理できないのである。
条件なしでこんなことができる能力があったとしたら、私の人生かなりいい方向に変わっていたに違いない。
このときはは割りとすぐに気づいてもらえたが、もしも最後まで気づいてもらえなかった場合どうするか…。瞬時に選択肢をいくつもはじき出した。その際、自分のかばんの中で使えそうなものがあるか、近くの人の物で使えそうなものがあるか、列車内で使えそうなものがあるか…などと考えた。
たとえば、乗客の中にアルビ(アルビレックス新潟…サッカーのチーム)のファンがいて、オレンジ色のメガホン持っている人がいたら、それを借りて大声を出していただろう。
ほかにも、列車内には発炎筒とか消火器だとか、「目立つ」ために使えるものはいくつもある。
最悪の場合、非常用ドアコックを使って1番線側のドアを開け降りることも想定していたし、退避場所も想定していた。退避場所は私が乗っている列車の真下である。非常用ドアコックを使っている以上、運転手・車掌ともドアの異常に気づいて発進することができない。ゆえにここが一番安全である。
こういう精神状態の女性であれば、泥酔状態の女性とちがって、落ち着かせながら手を引いて中に入ってもらえばいい。もし途中で錯乱したら、手荒なまねをしなければならなくなるだろうが、やむをえないだろう。
避難場所を考えずに飛び出すのは蛮勇でしかないが、この場合一応避難場所は考えてあった。
ちなみに、新潟駅の在来線では待避所はないし、列車の最低地上高の関係で、このニュースの男性のような手も使えない。
ちなみに新潟県内では結構「無人駅」があるので(これも都会の人には信じられないだろうが)隣の線路に人がいてもホームの人に助けすら呼べない場合もある。(こういうところは客もほとんどいない)この場合も、冷静に判断して行動しなければならないだろう。
この場合は、運転士も車掌も列車に乗っているので車内の「非常停止ボタン」を押して、駆け寄ってきた車掌等に人が落ちている旨を言えばいい。
こういうときに一番大切なのは自分の命を守ることである。これだけは絶対に忘れてはならない。
今後、また私もこれに近い状況に遭遇するかもしれない。その際、自分がどんな行動を取れるかは分からない。
分かるとしたら、そのような状況に遭遇したときだけである。
大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html
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