人との縁(えん)
最近思うことがあったので、唐突だが「人との縁」について書いてみようと思う。
行政書士になるまではあまり人との縁はよろしくなかった。一部例外的にいい人(私に理解がある人、助けてくれる人)が現れるくらいだった。
人の悲しみ・苦しみを理解できない者。同じ「労働者」なのに勝手にランク付けして「井の中の蛙」状態で威張っている者。
経営者・上司という優越的立場から脅しをかける者。
…これらを表現するには「卑怯者」の3文字でいいかもしれない。
だが、私も「卑怯者」に屈するつもりも無かった。しかし反抗する力も無かった。
とりあえず卑怯者の言う事を聞くふりをしておいて、自分への攻撃を減らす。
他に攻撃を受けている者を影ながら支援する。
私の理解者である直接の上司に「私はあの時(上司がわけの分からないことで社長に何時間も怒られていた)見聞きしていましたが、○○課長の方が正しいです。「あいつら」は私のことを馬鹿だと思っているようですが、物事の道理が分からないほど馬鹿ではないと思っています」このとき別れ際に「お弥彦さまが見ていますよ。誰が正しいか、誰が間違っているか」お弥彦さまとは当時私が勤務していたところからそれほどの距離が離れていなかった弥彦神社の祭神のことである。
私は神仏の類は「いい加減に中途半端に信じる」というスタンスを取っている。この点については典型的な日本人だと思う。
なお、強く信じさせようとする態度や、いわゆる「スピリチュアル」「パワースポット」という表現に対してはネガティブな感情を持っている。
行政書士になってからは生活が楽になったわけでは無いが、「卑怯者」から解放された。それどころか友好的な人が一気に増えたと思う。
先週商工会議所青年部の卒業式があったが、そのときにいろいろな話を聞くと、私のことをポジティブに考えてくれている人が多いらしい。
一応○○委員会という名の付くものにはよほどのことが無い限りは出ている。
夏祭りなどのイベントも出ているが懇親会はあまり出ない(出られない)
アルコール類がまるでダメで、周りのテンションに私がついていけない。
もし飲んでいるときに周りが私のテンションに従ったとしたらお通夜の酒の席よりもひどいことになるだろう。
…私はそんな程度の人間でしかないのに。
青年部メンバーの一部に私が大型二輪免許(自動車学校での教習が解禁されてからすぐに自動車学校でとった)を持っているということを話したことがある。こういうことを言うと、「体が小さいからコンプレックスをなんとかするために…」という人がいる。これを心理学的には「代償機制」といい心を守るための手段とされる。
彼らはそう解釈しなかった。「がんばったこと自体がすげーじゃん」「この話を聞いてアンタのことを見直した」とのことだった。
人によっては、大型二輪免許が自動車学校で取れるようになってから取ったことを指摘し、「お前みたいに”免許を買った”ようなのが大型二輪免許持ち面されると俺のもっている免許の価値が下がって迷惑だ」と解釈する人もいる。実際学生時代には遠まわしに何度も言われたことがある。
別に大型二輪免許が無くても私は生きていける。普通二輪免許だけでも十分だろう。
そんなことは大型二輪免許を取ろうと決意したとき(約16年前)から知っていた。
自分の体格的な不条理を何らかの方法でぶっ飛ばしてみたかった。ただそれだけであった。
「不条理を何らかの方法でぶっ飛ばしてみたい」この考え方は社会人になってからも消えなかった。
一番最初の会社で理不尽な扱いを受け続け、変な意味でここに「染まって」しまったらどうしよう。そう思うととても怖かった。染まること事態が不条理なことである。
そのときに私の理解者の1人から「何でもいいから資格とってみれさ」といわれた。
染まることでの思考能力低下をこれによって否定したかった。
結局取ったのは危険物乙種第四類という資格で、資格としては一度も役に立ったことは無いが自分の思考能力低下を否定するには十分だった。
フォークリフトの無資格作業(労働安全法違反)を強要し、あまつさえ「お前は作業能率が悪い」とかいう社長に対して腹が立ったので、自費で技能教習受けに入って取得した。
会社が変わって、勤務先が新潟になり専ら電車通勤になった。そのため自分の車を手放した。
数年後に新潟市のほぼ全域が停電したいわゆる「新潟大停電」が起きたり、中越地震、中越沖地震が起きたりした。
そのときに年も大して変わらない上司にこう言われた事がある。
「お前、電車が止まったらどうすんの」
私「バイクで来ます」
「冬にとまったらどうすんの」
私「タクシー使って来ます」
「タクシー代で1日の給料飛ぶんじゃないの?」
私が「余人に代え難い仕事」をしていたのならともかく、このときはそうではなかった。「お前の仕事なんて誰にでもできるんだよ」みたいなことも言われた事も何度もある。
ならばその「誰か」にやらせればいい。天災などの不可抗力でもそれでも何とかしろと言われるのは組織の意思決定をつかさどるような人間だけでいいだろう。
で、このときの「ぶっ飛ばし方」は「雪道でも走れるバイクを用意する」ことだった。
だいたいそんなときだけのために車を再度買ってはいられない。
以前紹介したことがあるが、手持ちのNS50F(’92年式のミッション車)のタイヤを冬用にし、グリップヒーターを装着したものを用意した。(http://gyouseiohtsuka.blog55.fc2.com/blog-entry-18.html 参照)
路面にもよるが原付の法定速度内であれば雪道でもほぼ問題なく走ることが出来る。
幸いこの会社にいたときには、この装備を用意してから雪道を田上から新潟まで走るような事態にはならなかった。
行政書士会入会日にたまたま隣にいた人がいい人で、分からないことを教えてもらったりなど今までずっとお世話になっている。
これまでと一体何が変わったのかというと正直言って分からない。人との縁としか思えない。
昨日、いつもの某神社に参拝してきた。近くで仕事があったのでそのついでである(神様に対して失礼だな…)
参道の途中で、ビー玉みたいなので遊んでいる3歳くらいの女の子とその両親を見かけた。
そのビー球がこっちにころころ転がってきたので拾ってその子に渡した。
そのこの両親は私にお礼をいい、自分の娘に「ちゃんとこの人に”ありがとう”を言いなさいね」と言った。その子はすぐに私にありがとうといい頭まで下げた。そこには言わされた感がまったくなかった。
こういう親の元ならいい子に育つだろう。実際大人になっても、その人の親を見るといい意味でも悪い意味でも「ああ、なるほどね」と思うことが多い。
こういう素敵な家族に会えたのも良い縁だと思う。
この日、久しぶりにhttp://gyouseiohtsuka.blog55.fc2.com/blog-entry-174.htmlの黒袴の人にお会いできた。詳細はリンクを参照していただきたいが、こういう方に私のことを覚えていただけると言うのは大変うれしいことである。…というかいつも向こうの方から声を掛けていただいているような気がする。この方と初めてお会いしてから10年たった。
この方と初めて会ったとき一緒にいた巫女さんは既に退職して結婚したりしているのだろう。
巫女さんをやっていられる時期はそれほど長くはない。
今日この人と一緒の巫女さんもリンク先のようにちゃんと教育されているといいなと思う。彼女らの振る舞いは1日や2日で出来るようなものではない。参道のビー玉の子のような素養があるのが前提で、いい環境で教育されないとダメだと思う。
少なくとも、不条理に呑まれたり、不条理に対抗する必要性が発生するような環境ではダメだ。
こうしてみるとなんだかんだいって、私って人との縁に恵まれているんじゃないかと思った。昨日はそんな一日だった。

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行政書士になるまではあまり人との縁はよろしくなかった。一部例外的にいい人(私に理解がある人、助けてくれる人)が現れるくらいだった。
人の悲しみ・苦しみを理解できない者。同じ「労働者」なのに勝手にランク付けして「井の中の蛙」状態で威張っている者。
経営者・上司という優越的立場から脅しをかける者。
…これらを表現するには「卑怯者」の3文字でいいかもしれない。
だが、私も「卑怯者」に屈するつもりも無かった。しかし反抗する力も無かった。
とりあえず卑怯者の言う事を聞くふりをしておいて、自分への攻撃を減らす。
他に攻撃を受けている者を影ながら支援する。
私の理解者である直接の上司に「私はあの時(上司がわけの分からないことで社長に何時間も怒られていた)見聞きしていましたが、○○課長の方が正しいです。「あいつら」は私のことを馬鹿だと思っているようですが、物事の道理が分からないほど馬鹿ではないと思っています」このとき別れ際に「お弥彦さまが見ていますよ。誰が正しいか、誰が間違っているか」お弥彦さまとは当時私が勤務していたところからそれほどの距離が離れていなかった弥彦神社の祭神のことである。
私は神仏の類は「いい加減に中途半端に信じる」というスタンスを取っている。この点については典型的な日本人だと思う。
なお、強く信じさせようとする態度や、いわゆる「スピリチュアル」「パワースポット」という表現に対してはネガティブな感情を持っている。
行政書士になってからは生活が楽になったわけでは無いが、「卑怯者」から解放された。それどころか友好的な人が一気に増えたと思う。
先週商工会議所青年部の卒業式があったが、そのときにいろいろな話を聞くと、私のことをポジティブに考えてくれている人が多いらしい。
一応○○委員会という名の付くものにはよほどのことが無い限りは出ている。
夏祭りなどのイベントも出ているが懇親会はあまり出ない(出られない)
アルコール類がまるでダメで、周りのテンションに私がついていけない。
もし飲んでいるときに周りが私のテンションに従ったとしたらお通夜の酒の席よりもひどいことになるだろう。
…私はそんな程度の人間でしかないのに。
青年部メンバーの一部に私が大型二輪免許(自動車学校での教習が解禁されてからすぐに自動車学校でとった)を持っているということを話したことがある。こういうことを言うと、「体が小さいからコンプレックスをなんとかするために…」という人がいる。これを心理学的には「代償機制」といい心を守るための手段とされる。
彼らはそう解釈しなかった。「がんばったこと自体がすげーじゃん」「この話を聞いてアンタのことを見直した」とのことだった。
人によっては、大型二輪免許が自動車学校で取れるようになってから取ったことを指摘し、「お前みたいに”免許を買った”ようなのが大型二輪免許持ち面されると俺のもっている免許の価値が下がって迷惑だ」と解釈する人もいる。実際学生時代には遠まわしに何度も言われたことがある。
別に大型二輪免許が無くても私は生きていける。普通二輪免許だけでも十分だろう。
そんなことは大型二輪免許を取ろうと決意したとき(約16年前)から知っていた。
自分の体格的な不条理を何らかの方法でぶっ飛ばしてみたかった。ただそれだけであった。
「不条理を何らかの方法でぶっ飛ばしてみたい」この考え方は社会人になってからも消えなかった。
一番最初の会社で理不尽な扱いを受け続け、変な意味でここに「染まって」しまったらどうしよう。そう思うととても怖かった。染まること事態が不条理なことである。
そのときに私の理解者の1人から「何でもいいから資格とってみれさ」といわれた。
染まることでの思考能力低下をこれによって否定したかった。
結局取ったのは危険物乙種第四類という資格で、資格としては一度も役に立ったことは無いが自分の思考能力低下を否定するには十分だった。
フォークリフトの無資格作業(労働安全法違反)を強要し、あまつさえ「お前は作業能率が悪い」とかいう社長に対して腹が立ったので、自費で技能教習受けに入って取得した。
会社が変わって、勤務先が新潟になり専ら電車通勤になった。そのため自分の車を手放した。
数年後に新潟市のほぼ全域が停電したいわゆる「新潟大停電」が起きたり、中越地震、中越沖地震が起きたりした。
そのときに年も大して変わらない上司にこう言われた事がある。
「お前、電車が止まったらどうすんの」
私「バイクで来ます」
「冬にとまったらどうすんの」
私「タクシー使って来ます」
「タクシー代で1日の給料飛ぶんじゃないの?」
私が「余人に代え難い仕事」をしていたのならともかく、このときはそうではなかった。「お前の仕事なんて誰にでもできるんだよ」みたいなことも言われた事も何度もある。
ならばその「誰か」にやらせればいい。天災などの不可抗力でもそれでも何とかしろと言われるのは組織の意思決定をつかさどるような人間だけでいいだろう。
で、このときの「ぶっ飛ばし方」は「雪道でも走れるバイクを用意する」ことだった。
だいたいそんなときだけのために車を再度買ってはいられない。
以前紹介したことがあるが、手持ちのNS50F(’92年式のミッション車)のタイヤを冬用にし、グリップヒーターを装着したものを用意した。(http://gyouseiohtsuka.blog55.fc2.com/blog-entry-18.html 参照)
路面にもよるが原付の法定速度内であれば雪道でもほぼ問題なく走ることが出来る。
幸いこの会社にいたときには、この装備を用意してから雪道を田上から新潟まで走るような事態にはならなかった。
行政書士会入会日にたまたま隣にいた人がいい人で、分からないことを教えてもらったりなど今までずっとお世話になっている。
これまでと一体何が変わったのかというと正直言って分からない。人との縁としか思えない。
昨日、いつもの某神社に参拝してきた。近くで仕事があったのでそのついでである(神様に対して失礼だな…)
参道の途中で、ビー玉みたいなので遊んでいる3歳くらいの女の子とその両親を見かけた。
そのビー球がこっちにころころ転がってきたので拾ってその子に渡した。
そのこの両親は私にお礼をいい、自分の娘に「ちゃんとこの人に”ありがとう”を言いなさいね」と言った。その子はすぐに私にありがとうといい頭まで下げた。そこには言わされた感がまったくなかった。
こういう親の元ならいい子に育つだろう。実際大人になっても、その人の親を見るといい意味でも悪い意味でも「ああ、なるほどね」と思うことが多い。
こういう素敵な家族に会えたのも良い縁だと思う。
この日、久しぶりにhttp://gyouseiohtsuka.blog55.fc2.com/blog-entry-174.htmlの黒袴の人にお会いできた。詳細はリンクを参照していただきたいが、こういう方に私のことを覚えていただけると言うのは大変うれしいことである。…というかいつも向こうの方から声を掛けていただいているような気がする。この方と初めてお会いしてから10年たった。
この方と初めて会ったとき一緒にいた巫女さんは既に退職して結婚したりしているのだろう。
巫女さんをやっていられる時期はそれほど長くはない。
今日この人と一緒の巫女さんもリンク先のようにちゃんと教育されているといいなと思う。彼女らの振る舞いは1日や2日で出来るようなものではない。参道のビー玉の子のような素養があるのが前提で、いい環境で教育されないとダメだと思う。
少なくとも、不条理に呑まれたり、不条理に対抗する必要性が発生するような環境ではダメだ。
こうしてみるとなんだかんだいって、私って人との縁に恵まれているんじゃないかと思った。昨日はそんな一日だった。
大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html

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