30周年記念日
実は今日はファミコン発売30周年日だったりする。
1983年7月15日、任天堂からファミリーコンピューターが発売された。
当時、私は小学校1年生で6歳であった(誕生日を迎える少し前)
そういえば…と思い出してみると、1年生のときの同級生の家でファミコンで遊ばせてもらったことがあるという記憶がある。
その後私がファミコンを買ってもらったのは、小学校4年生になったときの誕生日であった。(10歳)
それまでの間は友人や親戚の家などで遊ばせてもらったりした。
ファミコン本体と一緒に買ったソフトは「魔界村」というもので、買ったときは知らなかったのだがかなりの高難易度のものであった。(現在でもこのソフトの話題が出るとかならず難易度の話が出る)
なお、私はこれを2周目までコンテニューなしでクリアできるようになるのに3年かかった。
2本目のゲームは、ある意味伝説的な「たけしの挑戦状」というもので、どうして伝説的といわれるのかはネットで検索すれば山ほど出てくると思う。
このゲームは攻略本の世話になって(というか、攻略本なしでの攻略はほぼ不可能だと思う)これもクリアした。クリアした順番的には魔界村よりも早い。
ドラゴンクエストシリーズは、初めて買ったのが2、次いで3、4、1の順であった。
これらは現在もなお、多くの人が名作と評価している。
特にドラクエ3は販売店に行列ができるほどの人気で、しかも平日販売だったので生徒が学校をサボって買いに行ったりとか、買えなかった人がソフトを強盗した事案まで発生して「社会現象」とまで呼ばれた。
結局私が3を買ったのは、発売から1年ほどたってからだった。
4に関しては発売からわりとすぐに買った。
当時はハードの性能が低い上に、ソフトの容量も非常に限られていたので、今のゲームと比べると表現能力は雲泥の差がある。例えば、ソフトのパッケージの「勇者」とゲームの中の「勇者」は大違いである。だから当時ゲームをやる人たちはその辺を想像力で補った。
ゲームを開発する側も、すぐにファミコンのハード的な限界に突き当たったのでさまざまな工夫を凝らして各社いろいろな作品を出していた。
少なくとも当時はゲームを作る側も、ゲームを楽しむ側も本当に輝いていたと思う。

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1983年7月15日、任天堂からファミリーコンピューターが発売された。
当時、私は小学校1年生で6歳であった(誕生日を迎える少し前)
そういえば…と思い出してみると、1年生のときの同級生の家でファミコンで遊ばせてもらったことがあるという記憶がある。
その後私がファミコンを買ってもらったのは、小学校4年生になったときの誕生日であった。(10歳)
それまでの間は友人や親戚の家などで遊ばせてもらったりした。
ファミコン本体と一緒に買ったソフトは「魔界村」というもので、買ったときは知らなかったのだがかなりの高難易度のものであった。(現在でもこのソフトの話題が出るとかならず難易度の話が出る)
なお、私はこれを2周目までコンテニューなしでクリアできるようになるのに3年かかった。
2本目のゲームは、ある意味伝説的な「たけしの挑戦状」というもので、どうして伝説的といわれるのかはネットで検索すれば山ほど出てくると思う。
このゲームは攻略本の世話になって(というか、攻略本なしでの攻略はほぼ不可能だと思う)これもクリアした。クリアした順番的には魔界村よりも早い。
ドラゴンクエストシリーズは、初めて買ったのが2、次いで3、4、1の順であった。
これらは現在もなお、多くの人が名作と評価している。
特にドラクエ3は販売店に行列ができるほどの人気で、しかも平日販売だったので生徒が学校をサボって買いに行ったりとか、買えなかった人がソフトを強盗した事案まで発生して「社会現象」とまで呼ばれた。
結局私が3を買ったのは、発売から1年ほどたってからだった。
4に関しては発売からわりとすぐに買った。
当時はハードの性能が低い上に、ソフトの容量も非常に限られていたので、今のゲームと比べると表現能力は雲泥の差がある。例えば、ソフトのパッケージの「勇者」とゲームの中の「勇者」は大違いである。だから当時ゲームをやる人たちはその辺を想像力で補った。
ゲームを開発する側も、すぐにファミコンのハード的な限界に突き当たったのでさまざまな工夫を凝らして各社いろいろな作品を出していた。
少なくとも当時はゲームを作る側も、ゲームを楽しむ側も本当に輝いていたと思う。
大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html

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