ここ最近、自動車運転中の交通トラブルが話題になっている。
相手の運転や態度に頭にきたという理由で強制的に車を止めて暴力を振るったり、不適切なところに停めた(停めさせた)結果、後続車に追突されて死傷したりというものである。
この話題のきっかけとなった事件の「犯人」はそもそもトラブルを起したくていつも手ぐすねを引いているような輩で、過去に数度恐喝や暴力事件を起していたらしい。
今回の件は「今回のは運悪く轢かれたんだ。俺は悪くない」と思っているふしがある。
というか、そうとしか思えない発言が多数ある。
それ以外にも「車を運転すると性格が変わる」「相手の違反を許さない」(そういう自分は違反しまくっているというタイプと、融通がまるで利かないくらい順法精神が強いタイプと両方いる)
違反しまくっているのは論外だが、順法精神が強いタイプも問題がある。順法を標榜しているくせにちゃんと法律(優先順位など)を理解していなかったりする。
たとえば、信号の無い交差点の優先順位。正確に答えられますか?
1、一時停止標識がないほうが優先
2、交差点内でセンターラインが引かれている方が優先
3、道路が広いほうが優先
4、自分から見て、左方から来る車が優先
まず1を適用し、どちらも一時停止標識が無いときは2を適用、どちらもセンターラインが無いときは3を適用、道路幅が同じ場合は4を適用する。
…何も見ないで打ったので、これで正しいかは不安だが…。
実際の交通では、適度な譲り合いがあれば大体交差点関係はうまく行くと思う。
追い越し・追い抜き関係、狭い道での譲り合い関係、これらは書けばきりが無いので、交差点の話だけにしておく。
個人的な意見として、この種の交通トラブル、トラブルまで行かなくても同乗者や周りの交通に不安を与えるような運転をするタイプは次に挙げる人たちなのではないかと思う。
1、怒りやすい
2、自分は他人から舐められてると思い込んでいる(被害妄想)
3、常日頃から社会的義憤をぶちまけたがっている
4、自分なりの規範意識を強く持ち、相手にもそれを強制する傾向にある
5、融通が利かない
6、権力、権限を持つと豹変する
7、1~6の複合型
4の規範意識だが、自分ではWikipediaの
規範意識の説明とほぼ一致した解釈をしている。
たとえば「挨拶はちゃんとしましょう」「助けてもらったらお礼を言いましょう」「迷惑をかけたらきちんと謝りましょう」というのは法律ではなく、規範意識である。
これらは小学生でも分かるようなことである。
しかし、これが何らかの理由で相手に伝わらなかった、相手に伝えるタイミングを逸してしまった。そんなときに激怒するタイプがいる。しかも、こちらの人格否定までするようなタイプだ。「こんなこと小学生でも分かるだろ」とか、「お前みたいなのはろくな人生歩めない」とか。
規範意識という言葉の中には法律も含まれているわけだが、これらの発言は「侮辱罪」になる可能性あるんですけど、いいんでしょうかね…。
あと、4の規範意識に入ると思うが「正論であれば何を言っても、やってもよい」と考えるパターン。このパターンの人間の対処は難しい。物理的に離れるか、物理的に黙らせるしかないと思う。前者は状況的に難しいことが多く、後者を実行すると法に抵触する。
なお、このパターンの人間はこちらの立場が強いと何も言ってこないことが多いように思う。
立場の強弱で出し入れするような「正論」って何なんでしょうね?(苦笑)
6の権力、権限を持つと豹変する
誰の言葉か忘れたが「ある者の本性を知りたければ、その者に少しばかりの権力を与えよ」というのがある。
日ごろおとなしいくせに、ハンドルを握る(=自動車という使い方次第では大量殺戮も可能な道具が使えるようになる)と性格が変わるなんて、まさにそのまんまである。
1~5は物事の捉え方しだいで自分の考え方を変えることができると思う。
1の怒りやすい
自分の場合、相手に自分に向けられた明確な悪意がある場合以外ではできるだけ怒らないようにしている。むちゃくちゃなスピードで危ない追い越され方をしたときは「なんか知らないけど急いでるんだろ。警察に捕まるともっと遅れるんだけどな」と思うようにしている。
2の舐められていると思い込んでいる
自分の場合、身長が低いとかの問題で「思い込んでいる」どころか本当に舐められてるんだろうな…っていうのを多数経験した。なので、そういう態度をとる人間はその程度な人間なわけで、まわりからはそれにふさわしい評価をされるだけである。…と思っている。
まともな人間なら変なことで舐めた態度は取らないものだと思っているので、むしろ自分が他の人を見るいいチャンスだくらいに思っている。
3の社会的義憤
例えば、格差社会に対する社会的義憤が挙げられる。車で言うと自分がいわゆる大衆車なのに、相手がすごく高そうな車に乗っているようなケース。
格差なんていうものは誰がどんな政治をしても生まれるし、努力で埋められないものなど、いくらでもある。自分はそう思っている。
このケースでは、「なんかすげーかっこいい車を見ることができてラッキー」とかそう思うと格差うんぬんなんてどうでも良くなる。見とれて事故起さないように注意しなければならなくなることもある。
5の融通が利かない
実際に公道で車やバイクを運転したことがある人なら、融通を利かせられない、利かせてもらえない弊害はよく分かると思う。
1~3、5のタイプはまだ何とかなる余地があるが、4と6のタイプは非常に危険だと思う。その危険さは車に乗っていようがいまいが変わらない。というかもはや道路交通の問題ではなくなっている。
かつて「交通戦争」という言葉があった。その頃は交通事故死者が1万人を越えていたときもあった。今はさまざまな要因でその半分以下になった。だが、今回話題にした件を考えると、「戦争」は終わっておらず、終戦もいつか分からないのではないかと思う。
大塚行政書士社労士事務所
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