ブログの内容に関して直接意見を頂いて思ったこと
実際に会う人たちからこのブログの内容に関する意見を頂くことがある。
同士業・他士業の人のみならず、最近では商工会議所(特に青年部の人)から直接頂くことが出てきた。
私のほうからは「ブログやってます」「大塚義行」で検索すれば出てきます。くらいしか言わない。
で、「読んでみてどうだった?」のような聞き方はしない。
でよく頂く意見は私自身のことを「面白い感性をしている」「独特の面白さがある」である。
これはだいたいの人が同じ事を言う。
私のほうから聞いて出てきた意見ではないので、「面白い感性」「独特の~」はグルメ番組的な意味の「独特の味ですね~」(つまり「不味い」)という意味ではないのだろうと思う。
私から何も聞かないで、なおかつこのブログ(や私自身)が「アレ」だなと思えばそもそも誰も話題に出さないはずである。
自分自身をよく見ているのは自分自身ではなく、圧倒的に他人からのことが多い。当たり前のことだけれど。
ゆえに自分自身が気づかない自分自身というのがこのような形で見えて評価されてきているのではないのだろうかと考える。
ここに書く内容は、「これを話題にすること自体がまずいんじゃないか」とか「話題にはするが押さえ気味に書こう」とか考えるので、その意味で自分自身がきちんと出ているわけではないが、それでも自分の考えをだいたい出すことが出来る。
(例えば、以前の「車のエンジンが(略)」の話を出すことで、私がある種の人間をどのように思っているのか伝わる)
自分は自分自身を個性的に見せるとかという発想はない。そもそもそんなことは必要ない。
本来「個性」というのは自然に出てくるものであって、誰かの真似をするものではない。昔から多いのはアイドルの真似をするとかそういうのである。だけど、例えば一般人AさんがアイドルBさんの真似をしようとしても決してAさんはBさんになることはできない。当たり前のことではあるが、それが理解できない(もしくは認めたくない)人が少なからずいるように思える。
一般人にそういうことをさせることによって潤う商売があることは知っているけれど、その結果一般人が負担に苦しむとしたらそれは健全であるとはいえないであろう。
こういう「商売」をする人にとっては私のような人間は異端であり、ヘンなヤツであり(これは認める)、染めるか排除する対象になるだろう。
染めるなり排除するのはこういう人が自ら手を下す必要はなく、なんとなくまわりにある「同調圧力」ですればよい。
同調圧力の典型例は、一昔前の髪染めである。私が中学生くらいの頃はちょっと茶色に髪を染めただけで「不良少年・少女」扱いをされたものだった。
しかしはやり始めると、みんなが染めなければならないようになり、たとえば15年位前には「髪を染めていない若い女性」を確実に見ることが出来る場所は「巫女さんのいる神社」くらいしかない。という状態だった。
その後黒髪の人が増えてきたが、これもまた一部芸能人のブレイクによるものだったと思う。
私は「同調圧力」などどこ吹く風で(空気を読まない(読めない)とも言うのだろうか)髪を染めたことは無い。
今後も白髪染めを含めても染めることは無いだろう。
先の、このブログの感想は私が同調圧力なんかなんとも思っていないで生きていて、その一部をブログに書いているから出てきた感想なのかなと思っている。

にほんブログ村

にほんブログ村
同士業・他士業の人のみならず、最近では商工会議所(特に青年部の人)から直接頂くことが出てきた。
私のほうからは「ブログやってます」「大塚義行」で検索すれば出てきます。くらいしか言わない。
で、「読んでみてどうだった?」のような聞き方はしない。
でよく頂く意見は私自身のことを「面白い感性をしている」「独特の面白さがある」である。
これはだいたいの人が同じ事を言う。
私のほうから聞いて出てきた意見ではないので、「面白い感性」「独特の~」はグルメ番組的な意味の「独特の味ですね~」(つまり「不味い」)という意味ではないのだろうと思う。
私から何も聞かないで、なおかつこのブログ(や私自身)が「アレ」だなと思えばそもそも誰も話題に出さないはずである。
自分自身をよく見ているのは自分自身ではなく、圧倒的に他人からのことが多い。当たり前のことだけれど。
ゆえに自分自身が気づかない自分自身というのがこのような形で見えて評価されてきているのではないのだろうかと考える。
ここに書く内容は、「これを話題にすること自体がまずいんじゃないか」とか「話題にはするが押さえ気味に書こう」とか考えるので、その意味で自分自身がきちんと出ているわけではないが、それでも自分の考えをだいたい出すことが出来る。
(例えば、以前の「車のエンジンが(略)」の話を出すことで、私がある種の人間をどのように思っているのか伝わる)
自分は自分自身を個性的に見せるとかという発想はない。そもそもそんなことは必要ない。
本来「個性」というのは自然に出てくるものであって、誰かの真似をするものではない。昔から多いのはアイドルの真似をするとかそういうのである。だけど、例えば一般人AさんがアイドルBさんの真似をしようとしても決してAさんはBさんになることはできない。当たり前のことではあるが、それが理解できない(もしくは認めたくない)人が少なからずいるように思える。
一般人にそういうことをさせることによって潤う商売があることは知っているけれど、その結果一般人が負担に苦しむとしたらそれは健全であるとはいえないであろう。
こういう「商売」をする人にとっては私のような人間は異端であり、ヘンなヤツであり(これは認める)、染めるか排除する対象になるだろう。
染めるなり排除するのはこういう人が自ら手を下す必要はなく、なんとなくまわりにある「同調圧力」ですればよい。
同調圧力の典型例は、一昔前の髪染めである。私が中学生くらいの頃はちょっと茶色に髪を染めただけで「不良少年・少女」扱いをされたものだった。
しかしはやり始めると、みんなが染めなければならないようになり、たとえば15年位前には「髪を染めていない若い女性」を確実に見ることが出来る場所は「巫女さんのいる神社」くらいしかない。という状態だった。
その後黒髪の人が増えてきたが、これもまた一部芸能人のブレイクによるものだったと思う。
私は「同調圧力」などどこ吹く風で(空気を読まない(読めない)とも言うのだろうか)髪を染めたことは無い。
今後も白髪染めを含めても染めることは無いだろう。
先の、このブログの感想は私が同調圧力なんかなんとも思っていないで生きていて、その一部をブログに書いているから出てきた感想なのかなと思っている。
大塚行政書士事務所 http://gyousei.ohtsuka-office.jp/index.html

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト