退職
昨日の午前中に、去年まで行っていた職場に最後の出勤をした。
これは被服などを返還し、所定の手続きをするためである。
荷物が非常に多いので、車を使うのが一番よかったのだが、まだ自分の車が入ってくるのには時間がかかる。なので、バイクで駅まで・・と考えたが、バイクに積むには大きすぎた。
なので、歩いて駅まで行くことにした。バイク以外で駅に行ったのは数ヶ月ぶりであった。(バイクには真冬でも走れる装備がなされている)
JRに乗り、指定の1時間前の10時ちょっとすぎには職場に到着。早く来たのは、ロッカーの中にも着たこともない被服が多数あるからであった。
このロッカーが空になるのはおよそ6年ぶりになる。私の周りのロッカーはしょっちゅう空になったり物が入ったりしていたようであるが・・。
被服を準備していた袋に入れて、ロッカーを軽く掃除し、最後に6年近くくっついていたロッカーの鍵のキーホルダーを外した。
そのあと職場に向かったが、まだ30分残っていた。もう上司が来るまでやることがないので荷物を置いて周りを見てみることにした。表面上はあまり変わっていないようだった。
何人かいた人の話によると、かつてここにいて1年半ほど前に辞めた女性が戻ってきたと言う。
なんでも、人員不足ということで「お誘いをかけた」ということらしい。
私は以前贈られたネクタイを身につけ、スーツで着ていた。これを贈ってくれた人を知っている人もだいぶ少なくなった。なので、その人が分かる人に「このネクタイは○○さんから贈られたものです」と話しておいた。
また、昨日行政書士会の事務所検査があったことを話した。開業はやはり4月に入ってからでそこで初めて「行政書士」を名乗ることが許されます。と説明した。
11時に上司が来て、所定の手続きをしていった。初めに退職の辞令を。そして、退職後も職務上知りえた秘密を漏らさないという誓約書に署名押印するように求められた。
その後に総務課に行き、被服と金属部分が錆びまくった(汗で)名札を返還した。
この名札は電子ロックの鍵もかねている。なので、今後は上司の後にすぐにくっついていかないと戻れなくなってしまう。
最後に上司とそこに居合わせた数人と話をすることにした。
前の上司ははっきり言って実にひどかったが、今の上司になってだいぶ助かったこと、
前の上司の無茶な要求のおかげで「NS50F冬仕様改造」をすることになったということ。
その話と、名札が壊れても自分で直して使い続けたという話を聞いて、上司は「君って器用なんだな」とほめてくれた。でも、今まではそういうささやかな自己主張すらできないような雰囲気だったので、そういうことは何も言わなかったのであった。それをさせてくれたのなら、ぼろぼろの台車も、車の軽微な故障も(ライト切れや、内装のねじの緩みや、軽いかすり傷など)道具さえ貸してもらえれば直してもよかった。
実はフォークリフト操作資格も持っていたが、ずっと黙秘していた。あの状況だと「貴重な有資格者」であるはずなのにもかかわらず冷遇されることが明らかだったからである。
あと、祖父が先月死去したことを伝えた。そして行政書士の合格証書を見せることができたが、行政書士のバッジ(徽章)を見せることがついに叶わず残念であったということ。それも話した。
これにからんで、戸籍謄本や住民票などを委任状をもらって役所に交付を受けに行く機会が一気に増えて、結果的に「この世界の」第一歩になったということも話した。
上司らからは、行政書士ができること、できないこと、戸籍の種類や戸籍謄本(抄本)と住民票の違いなどの質問を受けた。
ほかの人からは、確定申告したいんだけど(この人はこの仕事のほかに不動産賃貸収入もあるようである)これは頼んでもいいのか?と聞かれた。これは行政書士の職務外なので税理士の先生に頼んでほしいといった。
相続に関する質問もされた。私は、「たくさん土地を持っている人は司法書士、相続税がかかるケースは税理士、とにかく親族同士が仲が悪くどうやってもうまくいかないのが明らかな場合は弁護士を。でも、いわゆる普通程度の家の相続だったら、(推定)相続人全員の同意を得た上で行政書士が遺産分割協議書を作成することができます。そして、この世の中「普通程度の家」が最も多いのです。」と答えた。実際、相続業務に特化した行政書士は多い。
最後に、法律上の問題と思われることで、「私に相談すればなんとかなるかも」と言うときは電話をください。番号は変わらないので。ただし、報酬はきっちりいただきますよ。とちゃっかり宣伝しておいた。
そして、電車の時間が迫ってきたのでこの場を去ることにした。このフロアに入ることはもう二度とないだろうが、職場の人とは会うかもしれない。そのときはもっとよい関係で会いたいものだと思う。

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これは被服などを返還し、所定の手続きをするためである。
荷物が非常に多いので、車を使うのが一番よかったのだが、まだ自分の車が入ってくるのには時間がかかる。なので、バイクで駅まで・・と考えたが、バイクに積むには大きすぎた。
なので、歩いて駅まで行くことにした。バイク以外で駅に行ったのは数ヶ月ぶりであった。(バイクには真冬でも走れる装備がなされている)
JRに乗り、指定の1時間前の10時ちょっとすぎには職場に到着。早く来たのは、ロッカーの中にも着たこともない被服が多数あるからであった。
このロッカーが空になるのはおよそ6年ぶりになる。私の周りのロッカーはしょっちゅう空になったり物が入ったりしていたようであるが・・。
被服を準備していた袋に入れて、ロッカーを軽く掃除し、最後に6年近くくっついていたロッカーの鍵のキーホルダーを外した。
そのあと職場に向かったが、まだ30分残っていた。もう上司が来るまでやることがないので荷物を置いて周りを見てみることにした。表面上はあまり変わっていないようだった。
何人かいた人の話によると、かつてここにいて1年半ほど前に辞めた女性が戻ってきたと言う。
なんでも、人員不足ということで「お誘いをかけた」ということらしい。
私は以前贈られたネクタイを身につけ、スーツで着ていた。これを贈ってくれた人を知っている人もだいぶ少なくなった。なので、その人が分かる人に「このネクタイは○○さんから贈られたものです」と話しておいた。
また、昨日行政書士会の事務所検査があったことを話した。開業はやはり4月に入ってからでそこで初めて「行政書士」を名乗ることが許されます。と説明した。
11時に上司が来て、所定の手続きをしていった。初めに退職の辞令を。そして、退職後も職務上知りえた秘密を漏らさないという誓約書に署名押印するように求められた。
その後に総務課に行き、被服と金属部分が錆びまくった(汗で)名札を返還した。
この名札は電子ロックの鍵もかねている。なので、今後は上司の後にすぐにくっついていかないと戻れなくなってしまう。
最後に上司とそこに居合わせた数人と話をすることにした。
前の上司ははっきり言って実にひどかったが、今の上司になってだいぶ助かったこと、
前の上司の無茶な要求のおかげで「NS50F冬仕様改造」をすることになったということ。
その話と、名札が壊れても自分で直して使い続けたという話を聞いて、上司は「君って器用なんだな」とほめてくれた。でも、今まではそういうささやかな自己主張すらできないような雰囲気だったので、そういうことは何も言わなかったのであった。それをさせてくれたのなら、ぼろぼろの台車も、車の軽微な故障も(ライト切れや、内装のねじの緩みや、軽いかすり傷など)道具さえ貸してもらえれば直してもよかった。
実はフォークリフト操作資格も持っていたが、ずっと黙秘していた。あの状況だと「貴重な有資格者」であるはずなのにもかかわらず冷遇されることが明らかだったからである。
あと、祖父が先月死去したことを伝えた。そして行政書士の合格証書を見せることができたが、行政書士のバッジ(徽章)を見せることがついに叶わず残念であったということ。それも話した。
これにからんで、戸籍謄本や住民票などを委任状をもらって役所に交付を受けに行く機会が一気に増えて、結果的に「この世界の」第一歩になったということも話した。
上司らからは、行政書士ができること、できないこと、戸籍の種類や戸籍謄本(抄本)と住民票の違いなどの質問を受けた。
ほかの人からは、確定申告したいんだけど(この人はこの仕事のほかに不動産賃貸収入もあるようである)これは頼んでもいいのか?と聞かれた。これは行政書士の職務外なので税理士の先生に頼んでほしいといった。
相続に関する質問もされた。私は、「たくさん土地を持っている人は司法書士、相続税がかかるケースは税理士、とにかく親族同士が仲が悪くどうやってもうまくいかないのが明らかな場合は弁護士を。でも、いわゆる普通程度の家の相続だったら、(推定)相続人全員の同意を得た上で行政書士が遺産分割協議書を作成することができます。そして、この世の中「普通程度の家」が最も多いのです。」と答えた。実際、相続業務に特化した行政書士は多い。
最後に、法律上の問題と思われることで、「私に相談すればなんとかなるかも」と言うときは電話をください。番号は変わらないので。ただし、報酬はきっちりいただきますよ。とちゃっかり宣伝しておいた。
そして、電車の時間が迫ってきたのでこの場を去ることにした。このフロアに入ることはもう二度とないだろうが、職場の人とは会うかもしれない。そのときはもっとよい関係で会いたいものだと思う。

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